六、明神峠のさくら

940 ~ 941
 黒羽町大字須佐木と須賀川との境にある明神峠は、藩政時代には水戸への道と呼ばれて、黒羽より佐貫・水戸方面に旅する人にとって重要な街道であった。昭和三十年、須賀川遺族会は、国のために尽くして英靈となられた人々への手向として、峠道の両側約千米にわたってさくらの苗三百本を植栽した。今日、峠の頂上の周辺一帯はスギの緑で覆われ、遠くには那須の噴煙が望まれ須賀川の誇る景勝の地となった。特に、四月の花見時には、昼間は家族連れの憩いの場として、夜はあかりの下にさくらを誉める人の波で賑う。

明神峠のさくら

 近時、町役場に於ても、駐車場・給水施設、公衆便所等を設置したので、本町の観光面から「さくらの名所」として高く評価されつつある。