8 構え場館跡

947 ~ 947
① 大字前田字鉢木  ② かまば  ③ 山林・畑・墓地  ④ 圃場整備により全壊  ⑤ 伊王野資宗  ⑥ 天正の初期  ⑦ 伊王野氏の出城

 野上川北岸の河岸段丘上の突端に構築されている。標高一九〇メートル、北と南と突端部の西側は段丘崖である。東側にくの字型の堀り切り土塁がめぐらされたが、今は圃場整備により消滅してしまった。ここは砦であり構場にふさわしいところである。くの字型土塁の東側は平坦な鉢木原で、その奥は浅香内と呼ぶ丘陵地で縄文中期の遺跡である。この地は浜街道が通っていて軍事口としても重要なところである。築城は伊王野氏、大関氏との抗争に天正の初期築いた出城である。天正十三、四年頃伊王野氏と大関氏と抗争し野上が大関氏の支配下になり廃止されたと伝う。