① 大字片田字館 ② 山田城、館山 ③ 山林 ④ 亀山石の採堀により部分壊 ⑤ 片田八郎義隆と伝う ⑥ 鎌倉時代 ⑦ 城下に「亀山町」あり昔の姿を止めている
御亭山塊の一支脈が丘陵をなす山頂にあり、金丸居館の北に接している。段丘上の沖積地より郭のある山頂(標高一九〇メートル)までの比高は約五〇メートルの山城である。南側一段下に帯郭がある。山頂はほぼ平坦でここに郭が構築されている。館の外周はほぼ円形で低い土塁がめぐらされている。ただ南側は僅かであるが石材(亀山石という)の採堀のため削りとられている。虎口は西側に一か所あり、小祠がこの近傍にまつられている。館の麓は岩盤が露出している箇所がみられ、全般に急崖をなし堅固な城館である。西側に城下町「亀山」がある。井戸は麓(西側)にあり「お使い水」という。今は埋立ててある。鎌倉時代那須十氏の一人那須資隆の八男片田八郎義隆築き住むと伝えられている。始め片田氏の要害として築城され永正年間那須資久の居城、同十一年落城(上、下那須の抗争)し下那須の出城となり資政住す。上下統一により廃す。