① 大字川田字榎平 ② 堀之内、川田居館 ③ 水田 ④ 開田のため全壊 ⑤ 川田六郎資成 ⑥ 鎌倉時代 ⑦-
那珂川東岸の河岸段丘上の平地に構築されている。現状は水田ですでに消滅し規模など不明であるが、地籍図からみると約六〇アールの規模と考えられる。なお地名「堀之内」が残っている。那須六家の一、川田六郎資成が鎌倉時代に築城し、永禄のころまで続いたようである。位置は那珂川とその支流余笹川・黒川・三蔵川などの流域でその合流地にある。この川田居館は本城であり里の城で出城であり詰め城としての高館を持つことによって軍事的な重要性は倍加している。尚この附近一帯は川田の名が示すように水田卓越地帯で経済の上からも重要な土地に在る。那須氏の宰領下にある川田氏の拠点で東山道口を扼す要衝地で那須氏一族のものが配城されていた。