① 大字黒羽田町、前田 ② 黒埴城、鶴舞城、御殿山 ③ 山林、水田、畑、社寺境内、宅地 ④ やや良、宅地、施設地造成、道路改修により部分壊 ⑤ 大関高増 ⑥ 天正四年 ⑦ 黒羽藩主累代の居城
野州黒羽藩
御本城御住居全図
『創垂可継』「居館規矩」(文化14年)による
『黒羽城鳥瞰図』佐藤梧陽覚書(明治15年10月)
黒羽城は複郭居館の山城で家中屋敷、城下の町並(商人町)をもつ北那須地方で最も規模が大きい典型的な城郭である。南北約一五〇〇メートル、東西約二五〇メートルに亘っている。城郭は那珂川沿いの南北に延びる丘陵上(標高約二〇〇メートル)に構築されている。那珂川の河岸段丘上との比高は約四〇メートルである。東部は松葉川の浸食谷で急崖をなしている。城郭は本丸(本城)と連なる二の丸(北城ともいう)を核としてほぼ同心円状に三の丸などの郭が配置されている。水濠は内堀と外堀がある。なおこの郭内を境として内城と外城とにわかれている。さらに三の丸の外郭には北に上城と八幡館がある。南には風呂口、大宿などがある。本丸、中丸、二の丸、三の丸、上城、八幡館、風呂口、大宿などの郭は土塁・空堀・水堀等によって区画されている。また大門(黒門という)九鶴門・中門・北坂門など多くの門や柵がつくられていた。土塁も数多くみられ、土塁上には城塀がめぐらされていた。虎口も数十箇所みられる。郭内には造園がみられ、井戸も堀られ一部残っている。また郭内には神社や仏閣が配置されていた。鎮国社(丹治祖神をまつる)・帰一寺・大雄寺(藩主大関氏累代の墓所)・新善光寺・宝寿院などはその主なもので、麓にもみられ、境内は城砦と同じく堅固である。郭内の道路は大宿のような大道もあるが、一般には七曲りにみられるように曲折した小道で、郭内特有なもので今もその跡をみることができる。硝室・武器庫、鐘つき堂・穀倉などさらに家中屋敷・馬場などの遺構も見られる。土塁がよく残されているのは本丸附近で、上杉景勝乱の守城のとき修復したという土塁や空堀などもほぼ完全に残されている。この城は大関高増が天正四年三月二十八日築いたもので高増後十八代廃藩迄の居城である。周辺に出城、砦をもっている。(注『黒羽城縄見図』(近世の項参照)