①大字川田字五斗蒔、大字大輪字高館 ② - ③ 山林 ④ やや良、部分壊 ⑤ 那須資隆と伝う ⑥ 文治年間と伝う ⑦ 梶原景時による落城伝説あり
高館は那珂川左岸に位置し南北に延びる丘陵の西突端に構築された山城で、麓の川田居館の要害であったとみられる。郭は東西七五間、東北八〇間とある。(栃木県史)日本城郭大系四の高館城の項には東西一三五メートル、南北一四四メートルで面積約五ヘクタールとある。しかし現状は遺構の土塁などは少なく平坦な館跡のみ残っている。また少し下った南麓に少しく残しているに過ぎない。那珂川の河岸段丘上からみると館のある丘陵突端は比高があり天険の要害である。参考に黒羽藩主大関文書「古城高館間敷書付丸田治兵衛所持し虎写置者也宝暦八戊寅歳十二月」によると次の如く誌してある。
下野那須与市古城高館 大関右衛門御領内
1、本丸高
西一〇二間中川水際迄、北九六間但水五〇間下テ有、南九三間。東谷深一八間、広三五間但谷水有、是ヨリ東丑寅江臨ミ山続本丸ヨリ高き山三町五反程隔テ三ケ所有。
本丸広東西江二三間、南北江二六間西ニ出丸、東西江二六間南北江七間、但本丸ヨリ二間下ル本丸ノ丑寅ニ出丸未寅江二二間戊辰江五間本丸ニ二間下ル、本丸南ニ帯廻輪三ケ所有、三〇間ニ六間ハ本丸ニ三間下ル一三間ニ六間ハ本丸ニ四間下ル、三〇間ニ八間ハ本丸ニ五間下ル。
本丸広東西江二三間、南北江二六間西ニ出丸、東西江二六間南北江七間、但本丸ヨリ二間下ル本丸ノ丑寅ニ出丸未寅江二二間戊辰江五間本丸ニ二間下ル、本丸南ニ帯廻輪三ケ所有、三〇間ニ六間ハ本丸ニ三間下ル一三間ニ六間ハ本丸ニ四間下ル、三〇間ニ八間ハ本丸ニ五間下ル。
1、二ノ丸
本丸ノ辰己ニ有、東西江一六間南北江一三間出丸有、北江三五間東西江八間、本丸ノ間三〇間、帯クル輪平也、南ヘ山続有本道。右当今何モ草芝山ニ而城之影無御座候
寅ノ九月十日
築城者は那須氏の一つ川田氏の要害とみられる。一説には那須資隆が小川神田城より移るともいう。文治年間築城と伝う。
東山道を扼す重要なところにある要衝の一つである。