21 築地館跡

960 ~ 960
① 大字黒羽向町字築地  ② 大館、築地、桝形、築地居館跡  ③ 山林、水田、畑、宅地  ④ 不良、開田により部分壊  ⑤ 須藤権守貞信と伝う  ⑥ 平安末期  ⑦ -

 この築地館は大館とよばれる城館である。那珂川右岸の第二段丘上の平地に構築されている。舌状台地の突端近くに位置している。
 単濠単郭で、郭と土塁、堀跡などが僅かながら現存している。規模は大館の名にふさわしく大きい。ほぼ長方形で、桝型ともよばれている。東西約一三六メートル、南北約二二一メートルほどもある。虎口は各辺のほぼ中央に四か所あったという。那須郡最大の居館跡である。土塁の幅は約一四メートル、高さ三メートル位である。外側には空堀がある。水がたたれたともいう。北側の土塁は早期に消滅している。(あった事実は明治九年地籍図にのっている)現存している土塁は東南部の一部、西北部の一部だけで、その他は消滅している。平安末期那須氏の祖須藤権守貞信の構築と伝う。構築中途で築城を止め小川町神田城に移り、実際に居城した者がいたかどうか不詳である。場所は近くを東山道が通じ那須氏創草期の上那須の一拠点であった。

築地館跡の図 「火葬設置ニ付官有地払下願」
(明治25年5月29日)