開山初住のとき唯一本の小さき橋であったという。その名は唐の天台山入口の橋に擬したと伝う。
近世になり柱礎傾き、橋梁撓(たわ)む。願輪(がんりん)に乗じて再興す。慶長十八年(一六一三)孟夏 前妙心後雲岩有山叟の「独木橋供養の法語」のなかに「昔日(そのかみ)、僧趙州の石橋(しやつきよう)に響く。到来すれば只略〓(りやくしやく)を見るのみ。」州曰く、「如何なるか是れ石橋 」州曰く、「驢(ろ)を渡(ど)し、馬を渡す云々。…即ち是れ独木なり。」とある。(「旧記」による)
(2)瓜〓(かてつ)橋 (二)
仏光師祖の瓜〓連綿の語に因み名づけたという。「瓜〓連綿」は子孫(法門)の繁栄の喩である。
(注)仏光より仏国への書翰にて「我ガ東山ノ下ヲ見ルニ瓜〓連綿トシテ我ガ道自ラ足レリ。盛大ナルカナ」とある。
(3)涅槃(ねはん)橋 (三)
諸檀越(だんのつ)の苑処に因み、これを掛けたという。
(4)梅船(ばいせん)橋 (四)
「伝えて曰く、昔河岸に梅の大木有り、花橋上に落つるや、恰も船を游かぶるが如しと。此に因りて名づけらると云ふ。」(『雲巌寺旧記』による)
(5)瑞雲(ずいうん)橋 (五)
「小門(裏門のこと)の前渓に有り、昔小橋と呼びしとぞ。玄三和尚、再造して名を瑞雲と改む。此の名の由来は、橋の少し上滝に竜灯淵有り。昔活流此の淵に栖蟄(せいちつ)し、時に竜灯を出現せしめて、開山国師の塔前に献ぜしと。此の時に当たりて白雲、橋の上下に靉靆たり。此の縁に依りて、瑞雲橋と云ふ。」(『旧記』による)
(補注)
○無量(むりょう)橋
「若林の上(ほとり)、須賀川よりの入口に有り。昔念仏奉加を以て之れを掛けしと伝ふ、故に名づけらる。(下略)」昔は独木橋・瓜〓橋・涅槃橋・梅船橋と無量橋を五橋と称したという。中比(なかごろ)無量橋断絶、瑞雲橋を以て五数(しゅ)に入るるという。
「若林の上(ほとり)、須賀川よりの入口に有り。昔念仏奉加を以て之れを掛けしと伝ふ、故に名づけらる。(下略)」昔は独木橋・瓜〓橋・涅槃橋・梅船橋と無量橋を五橋と称したという。中比(なかごろ)無量橋断絶、瑞雲橋を以て五数(しゅ)に入るるという。