(三) 浄法寺桃雪邸跡

967 ~ 968
『ほそ道』本文に「黒羽の館代浄法寺なにがしのかたにおとづる―」とある。また曽良の『俳諧書留』に「秋鴉主人の佳景に対す山も庭に……」とある。
 浄法寺家門前のなだらかな坂道は苔むして芭蕉来訪の元禄のころを思わせる。屋敷は高燥の地にあり、黒羽のみたちをものし侍つただけに今も広壮である。
 前庭の桃雪亭跡に立つと「奇峯乱山かたちをあらそひ……」「山も庭も」の美景がみられる。
 土手の上に『曽良書留』にある「山も庭もうごき入るや夏坐敷」の句と「芭蕉翁みちのくに下らんとして我蓬戸を音信て…」と前がきして、芭蕉・桃雪・等躬・曽良の句を刻んだ碑が立っている。筆は両者とも加藤楸邨である。
 隣接の大雄寺の大関氏累代の墓所のすぐ下の段に筆頭家老の浄法寺氏の墓所がある。そのなかに桃雪(図書高勝)の墓碑がある。
 墓碑は自然石で「隨如軒寛心大裕居士・法台院鏡容清心大姉」と並刻してある。「法台院」はその室である。
(注)浄法寺図書は五百石で、その所付は、下深沢である。

「蓬戸を音信て」の句碑