(四) 修験光明寺跡

968 ~ 968
『ほそ道』本文の「親族のかたにも招かれ…」「修験光明寺といふあり。そこに招かれて、行者堂を拝す。夏山に…」とある。
 夏が篭る高燥な丘上に光明寺跡がある。今は農家の宅地になっている。道路と土手の間の水田はもと堀であり、清冽な湧水が今もみられる。この堀に朱塗りの反り橋が架してあったという。今、句碑「夏山に」の立つ土手の前に門や灯籠などがあったという。(礎石が残っている)
 役の行者の足駄が奉納してあったという行者堂は奥まったところにあったというが今は跡形もない。
 津田源空の墓は西側のスギの林の中にある。碑面に「役優婆塞末葉権大僧都法印源光 元禄十(一六九七)丁丑歳五月十七日」とある。
 近傍に正安元年建立の板碑と丹姓明神の祠がある。