(五) 狐塚

969 ~ 969
『ほそ道』本文に「那須の篠原に分けて、玉藻の前の古墳を訪ふ。」とある。
 篠原玉藻稲荷神社の境内に鏡が池があり、池畔の東端、土手の上に小祠がある。真新らしく感ずる。この伺はこゝから北の方にあった狐塚の地を開田したとき、その霊を移したものである。
 『わがふるさと』によると「三浦介は此の地に狐の屍を埋めて塚を築いた。其の塚は狐塚と称して、篠原鏡が池の北の方、金田村(大田原市に合併された)の小滝と境界になっている畑中にある。」
(注)古来「那須の狩倉」「那須の篠原」と称されてきたこの地は小滝・上桜井・乙連沢・下桜井・羽田・金丸村(大田原市)・野間・樋沢村(黒磯市)・余瀬・於多賀(蜂巣)・奥沢、桧木沢・寒井村などの萱場の入会地であったという。元文六年の境界論争判決書の図面に「狐塚」の表示(矢印)がみられる。

 篠原(蜂巣)境の乙連沢地内県道の路傍に「狐塚之址」(昭和二十二年(一九四七)九月、川西町文化会建之)の小碑がある。こゝが九尾の狐を埋めたところであるという。


篠原稲荷山と狐塚『篠原絵図』部分(蓮実蔵)→狐塚の位置