私たちは伝説探訪で、歴史的風土の中に息づく、温かい民俗の心を汲みとることができる。
本稿では巷間伝えられている代表的な水神伝説を紹介しながら、その底流を少しでも探ってみようと思う。
(注)各伝説については特に黒羽地方の自然と歴史のなかに息づく姿を記述することに努めた。
『黒埴(くろはに)』と呼ばれるこの里は、みずみずしく穀実の豊稔な歓をみたところで、和名抄十二郷の方田(かただ)・全倉等が含まれている。最近まで片田・北滝には条理遺構がみられた程である。また粟野宿や富貴田(ほうきだ)等の名も残っていて、この地方は古くから稲作の豊かさを誇っている。
人間にとって水は力であり、生命の根源をなしている。特に稲作人は田畑を潤す用水を天与のものとし、『神代に天より流れ越し水沼なり』と考えてその恩恵に浴してきた。
(参考)古老(ふるきおきな)のいへらく、神世に天(あめ)より流れ来し水沼(みぬま)なり。生(お)へる蓮根(はちす)は、味気太(あじはひはなは)だ異にして、甘きこと他所(あだしところ)に絶(すぐ)れたり、病(や)める者、此の沼の蓮根を食へば、早く差(い)えて験(しるし)あり。鮒・鯉、多(さは)に住めり。前(さき)に郡を置ける所にして、多く橘を蒔(う)えて、其の實味(うま)し。『常陸風土記』
また封建社会にあっては、水を命よりも大切なものと考え、その確保に力を尽してきた。
湧水==泉を、地方語では、清水(しみず)・デガマ・頭無(かしらなし)・ジヤッカ・ズッパ等と呼び、そこに水神を祭り、産土神として崇敬した。そして、沼沢に縁のある竜蛇を、水徳を司る神と崇め、竜蛇神とも称してきた。
湧水地の多い黒羽地方は、水神信仰地のメッカである。那須氏が崇敬した温泉神社の名、「温泉」もその範疇に入るものである。
温(湯)(ゆ)泉は湧(ゆう)泉につながる。湧泉地付近に居を構え、そこに田畑がひらかれ集落が形成され、産土の神がまつられた例は極めて多い。大豆田の湯泉神社や川上の頭沢大明神等はその好例である。
那珂川・押川(おしがわ)の古名は粟河・田作川と称し、田沢とか竜沢などの唱え方もしてきている。