むかしむかしのお話です。弘法大師さまが、奥州から八溝路に入って来たときのお話です。
渓流に香気が立っていました。大師さまは不思議に思って、水を掬(すく)ったところ、掌中に梵字(ぼんじ)が浮かんできました。
大師さまは、この奇跡を、尊くおぼしめして、「この源流を溯(さかのぼ)れば、仏陀の浄土があること疑いがない。この山は三国にそびえる聖山であると聞いていましたが、ぜひ登拝してみよう」とお思いになられました。
里人に登る道を求めますと、
「私たちは朝日が山にさすと、嶺に五色の雲が湧き、心よい音楽が奏でられる、あの美しい八溝に、いつも登ってみたいと思っていましたが、高笹という山に鬼賊がすんでいるので、恐ろしくて登ることができません。こゝもむかし平和な山里でありましたが、いつのころからか大猛丸(おおたけまる)が出没してから、人家も離散し、こんな淋しい村になってしまいました」と嘆き悲しみ、大師さまの入峯をお留めするのでありました。
大師は、里人を悩ましている大猛丸を退散させ、この山を再び美しい霊山にとり戻したいとお思いになられました。
八溝は、険しい山でありました。大師さまは、虚空(こくう)に『般若(はんにゃ)』(妄想を離れた知意)という文字を書かれ、心眼を開かれ、動ずる気配もなく登頂していきました。
里人を、あれ程苦しめ、悩ましてきた大猛丸も、大師さまの霊気に触れて、退散してしまいました。
大師さまは美しい山の頂きに立たれました。山頂から四方を見ますと、恰も八つの花弁におおわれた蓮花のように、八峯八谷が開け、清浄無垢な霊水が、麓の村々を潤していました。思わず、この山の名を『八溝山』と名付けられたそうです。
渓流に香気が立っていました。大師さまは不思議に思って、水を掬(すく)ったところ、掌中に梵字(ぼんじ)が浮かんできました。
大師さまは、この奇跡を、尊くおぼしめして、「この源流を溯(さかのぼ)れば、仏陀の浄土があること疑いがない。この山は三国にそびえる聖山であると聞いていましたが、ぜひ登拝してみよう」とお思いになられました。
里人に登る道を求めますと、
「私たちは朝日が山にさすと、嶺に五色の雲が湧き、心よい音楽が奏でられる、あの美しい八溝に、いつも登ってみたいと思っていましたが、高笹という山に鬼賊がすんでいるので、恐ろしくて登ることができません。こゝもむかし平和な山里でありましたが、いつのころからか大猛丸(おおたけまる)が出没してから、人家も離散し、こんな淋しい村になってしまいました」と嘆き悲しみ、大師さまの入峯をお留めするのでありました。
大師は、里人を悩ましている大猛丸を退散させ、この山を再び美しい霊山にとり戻したいとお思いになられました。
八溝は、険しい山でありました。大師さまは、虚空(こくう)に『般若(はんにゃ)』(妄想を離れた知意)という文字を書かれ、心眼を開かれ、動ずる気配もなく登頂していきました。
里人を、あれ程苦しめ、悩ましてきた大猛丸も、大師さまの霊気に触れて、退散してしまいました。
大師さまは美しい山の頂きに立たれました。山頂から四方を見ますと、恰も八つの花弁におおわれた蓮花のように、八峯八谷が開け、清浄無垢な霊水が、麓の村々を潤していました。思わず、この山の名を『八溝山』と名付けられたそうです。