(七) 気揚げ

997 ~ 998
 里人が進んで竜神を怒らせた話が、寒井の館下(たてした)にある。
 竜神の潜む那珂川の渕水を浚(さら)って、気を揚(あ)げさせる雨乞いの習俗が残っている。水を渫(さら)われた竜神は、怒を発し、昇天し、黒雲を起し、雨を降らせるのだと言う。この地は、大豆田(高黒)の手箱付近の河川敷と同じく、洪水に際し、流木が多くあがる箇所の一つである。従って『気揚げ』は『木揚げ』(流木を拾い上げること)だと言う里人もいる。どちらも本当の話であるが、本稿では、『気揚げ』の習俗についてふれよう。
 むかしのお話です。那珂川は高館(たかだて)の辺りで大きな輪を描えて南流していますが、崖の下は、深い渕になっていました。
 早瀬の水が岩に激突し、白波を見せていますが、全体が緑の深い渕で、深さがどの位あるのか、解らない程あり、神秘さを感じさせます。
 ある年のことです。来る日も/\も雨が降らず、旱天が続き、陸稲(おかぼ)等は葉が針金のように縒(よ)れ、枯死寸前になってしまいました。
 村人は、天を仰ぎ、一点の雲もなく晴れている空を見て、嘆息するばかりであります。隣り村の大輪では、『雨降り地蔵』を川に浸して雨乞い祭をした噂(うわさ)も伝ってきました。
 館下の人々も村総出の、雨乞い『きあげ』をすることになりました。
  各戸から一人ずつ出て、高館の崖下の渕に集まり、お祈りを捧げた後、那珂川を塞(せき)止めて渕水を渫(さら)う作業をしました。どこか遠くから、雨乞いの太鼓の音が聞こえてきます。
 やがて、さしもの深い渕も底をみせ、鮎やなまずが動き廻るようになりました。
 ところが、不思議なことに、今まで晴れきっていた空に雲が湧いたかと思うと、待望の雨が俄に降ってきました。
 この雨乞いの行事のことを、地元の人々は『きあげ』と呼んでいます。今迄も、降雨がなくひでりが続いたとき、この『きあげ』をすると、きまって雨が降り出したそうです。
 どうしてこの行事をすると雨が降り出すのかわかりませんが、長老の話によりますと、「この渕の主には竜神(水神)さまが、すんでいますが、水を渫われると、『怒り』を発し、黒雲を呼びながら昇天し、雨を降らせる」のだそうです。