菜の花が咲く頃、一雨あった後、もう一か月も雨らしい雨がなく、畑は乾き、作物は枯死寸前となり、種子(たね)の蒔き付けも出来ない始末です。
今日は、満々と湛えられている篠原の鏡が池にあやかって、雨乞いの行事を、村を挙げて行なう日であります。
清冽な池の面は、玉のような藻と、鬱蒼(うっそう)と茂る老杉の葉影とが重なって、青緑をなし、底の底まで透き通っていて、神秘的であります。池畔に佇むと、わが身が深い池水にひきこまれそうです。
池の底には、二つの自然石が、寄り添うように置かれています。『爺石』・『婆石』と呼ばれている大きな石です。
村人が篠原玉藻稲荷神社に集まってきていよ/\雨乞いの祈願が始まりました。
神主のお祓が終ると、村の若者達によって、鏡が池の水が渫(さら)われ、二つの石の内『婆石』だけ、社頭に担ぎ上げられました。
早速、御神酒など供え、神主さんが祝詞を申し上げ、村人が、雨乞いの祈願をしました。命より大切な天水を乞う、村人の切願でありました。
すると、どうでしょう。一天俄にかき曇って、篠つくような大雨が降ってきたのです。『旱天の慈雨』とはこのことを表現したものなのでしょう。畑の作物は、慈雨の恵みを精一ぱい受けて蘇(よみがえ)りました。村人は雨にぐっしょり濡れたまま、合掌し、天を仰ぎ、天与の雨に感謝するのでありました。
村人の顔に安堵の笑みが戻りました。やがて神恩に感謝しながら、『婆石』などの霊験に改めて感激しながら、『爺石』の待っている池に、『婆石』を戻すのでありました。
直会(なおらい)の席で、長老は得意顔で、『爺石』・『婆石』の霊験あらたかなことを、過去の追憶談を交えながら、若者達に、何度も何度も繰り返しながら次のように話すのでありました。
「雨乞い行事の霊験は『婆石』を池から担ぎ出すことによって、池に残された『爺石』との別れが、つらくて、泣く別れ雨が、降雨を誘って、雨を降らせるのだ」、「いつもきまって降るから不思議なものだ」……と。
若者達は長老の神がかった話を神妙な顔つきで聞いておりました。幾度となく繰り返しながら聞かされてきた話でありました。
今日は、満々と湛えられている篠原の鏡が池にあやかって、雨乞いの行事を、村を挙げて行なう日であります。
清冽な池の面は、玉のような藻と、鬱蒼(うっそう)と茂る老杉の葉影とが重なって、青緑をなし、底の底まで透き通っていて、神秘的であります。池畔に佇むと、わが身が深い池水にひきこまれそうです。
池の底には、二つの自然石が、寄り添うように置かれています。『爺石』・『婆石』と呼ばれている大きな石です。
村人が篠原玉藻稲荷神社に集まってきていよ/\雨乞いの祈願が始まりました。
神主のお祓が終ると、村の若者達によって、鏡が池の水が渫(さら)われ、二つの石の内『婆石』だけ、社頭に担ぎ上げられました。
早速、御神酒など供え、神主さんが祝詞を申し上げ、村人が、雨乞いの祈願をしました。命より大切な天水を乞う、村人の切願でありました。
すると、どうでしょう。一天俄にかき曇って、篠つくような大雨が降ってきたのです。『旱天の慈雨』とはこのことを表現したものなのでしょう。畑の作物は、慈雨の恵みを精一ぱい受けて蘇(よみがえ)りました。村人は雨にぐっしょり濡れたまま、合掌し、天を仰ぎ、天与の雨に感謝するのでありました。
村人の顔に安堵の笑みが戻りました。やがて神恩に感謝しながら、『婆石』などの霊験に改めて感激しながら、『爺石』の待っている池に、『婆石』を戻すのでありました。
直会(なおらい)の席で、長老は得意顔で、『爺石』・『婆石』の霊験あらたかなことを、過去の追憶談を交えながら、若者達に、何度も何度も繰り返しながら次のように話すのでありました。
「雨乞い行事の霊験は『婆石』を池から担ぎ出すことによって、池に残された『爺石』との別れが、つらくて、泣く別れ雨が、降雨を誘って、雨を降らせるのだ」、「いつもきまって降るから不思議なものだ」……と。
若者達は長老の神がかった話を神妙な顔つきで聞いておりました。幾度となく繰り返しながら聞かされてきた話でありました。