二 水の精『竜女』

999 ~ 1000
 むかし、むかし、那須の篠原を分けて、開拓の初鍬が入れられた頃のお話です。
 鏡が池の傍に、草分け百姓の夫婦が住んでいました。妻は後添えですが、美しく、働き者でありました。お百姓仕事が上手で貯えもでき近所隣りから羨まれる程、幸せに暮していました。ある時のことであります。美しい妻が、鏡が池で水浴(あ)みをしていたとき、夫がこれを目撃してしまったのです。妻女は『竜女』であったのです。
 妻女は、ハッと驚き悲しみ池に入水し、その姿を消してしまいました。夫は、茫然として、その池畔に暫し、立ちつくしていました。
 鏡面には、妻女の草履が片方だけ浮き、くる/\まわっているだけで、辺りは静まりかえり、桜木からは音もなく花びらがちら/\と散っていました。
 歳月は流れていきました。妻女がはいていた草履の片方が、大清水で見つけられました。
 里人は、鏡が池と大清水とは地下で、結ばれているのではないかと、不審がっていました。
 水の精「竜女」は、正体をみられましたので、海への通い路である大清水と鏡が池とを断って、夫と再び会うことはなかったそうです。しかし大清水の流域は、湿田が広がり、黄金の花が咲き、川西郷の穀倉地帯の一つになっていきました。

 この『水の精』の話を初めて聞いた時、『古事記』(鵜葺草合合命(うかやふきあへずのみこと)の生誕』の説話が、記憶から甦ってきた。
〝――かれ、産殿に入りましき。ここに方(まさ)に産まむとする時に、その日子(ひこ)に白(まを)して言はく、「凡(すべ)て他国(あたしくに)の人は産む時になれば、本(もと)つ国の形を以ちて産むなり。かれ、妾(あれ)今本の身を以ちて産まむとす。願はくは妾(あ)をな見たまひそ」とまをしき。
 ここにその言(こと)を奇(あや)しと思ほして、その方(まさ)に産みますを窃(ひそ)かに伺ひたまへば、八尋和邇(やひろわに)に化(な)りて甸匐(は)ひ委蛇(もごよ)ひき。即ち見驚き畏みて、遁(に)げ退(そ)きたまひき。ここに豊玉毘売命、その伺ひ見たまひし事を知りて、心恥(うらは)づかしと以為(おも)ほして、すなはちその御子を生み置きて白さく、「妾恒(あれつね)に海(うみ)つ道(ぢ)を通して往来(かよ)はむと欲(おも)ひき。然れども吾が形を伺ひ見たまひし、これいと〓(は)づかし」とまをして、即ち海坂(うみさか)を塞(さ)へて返り入りましき。――〟

 この説話の形は、『禁室方説話』である。『古事記』では『鰐』が登場してくるが、鏡が池の場合には竜女である。これは竜蛇神とも軌を一にしている。何れにしても水界を支配する神が登場してくることには変りがない。
 また物語の筋は、民話の『蛇女房』・『狐女房』・『鶴女房』とも同じである。