一 御亭の綾織姫

1001 ~ 1002
 むかしむかしのお話です。金色姫がみまかって蚕となり、白い繭(まゆ)玉を作ったころのお話です。そのころ同じ国の筑波山に宝道という仙人がいましたが、繭を練り、真綿を作る方法を教えていました。吉林から金色姫とまゆ玉の話を聞いた宝道は、その小虫が蚕であることを話ました。
 その後、仙人は那須の国原に来て、八連花のような緑の美しい御亭山に、紫の瑞雲が立つのを見て「この山こそ、私の住家(すみか)にふさわしいところだ」と、けわしい山道を登り初めました。
 宝道が道に迷っていたとき、白髪の老翁が現われて「私について来なさい」と、山頂近くの池の畔に案内しました。老翁は「この池の中に竜宮があります。竜女に、綾織物を織らせ、里人にも教え広めてください。私は、大山祇(おおやまぎのかみ)である」と言ったかと思うと、消え失せました。
 宝道は、しばらく茫然としていましたが、水際に立って耳を傾けますと、確かに、ハタハタと機(はた)を織る音が聞こえてくるではありませんか。宝道が思案していた時、池の水が大きく動いたかと思うと大きな亀が浮かんできて、宝道に乗りなさいという仕様(しぐさ)をしました。
 宝道は亀の背に乗り、水底に入って行きますと、そこは竜宮らしく、金殿玉門の立派な御殿がありました。美しい法華経と鈴の音が聞こえ、恰も極楽世界のようでありました。
 このとき、竜王が出座し、「私は、芦原の国の者である。織女を遣わしますから綾織物を作り、産業を興してください」とお告げになりました。
 宝道仙人は大へん喜び、里人に蚕を養うことを奨め、織女に機(はた)を織らせました。見事な出来栄えで、天子さまにも献上され、『那須の綾絹』として、天下にその名声を博しました。またこの池の名を『綾織池』と言うようになりました。

 綾織姫の話は、池畔の葦葉が風に戦(そよ)ぎ、機機(はたはた)と揺れ動くその響きとこの地方が那須絹の産地であることが結びつけられて生まれたものと考えられる。