むかしむかしのお話です。持統天皇の御代、都に漢人が住んでいましたが、美しい娘を妻に迎えました。
妻女は、素晴らしい『綾絹』の織女でありました。夫は、見事に織り上った品を見て、これを私するのは恐れ多いことであると、京に上り、天皇さまに献上し、沢山の御褒美を載いて帰郷しました。
自宅に帰宅しましたが、折悪しく妻は留守でありました。夫は、機場にでも居るのかなと思って、部屋を覗いて見ましたが、その姿は見当りませんでした。
漢人の夫は、妻女の織り糸が尽きることがないことを思い出し、織機の糸を三日がかりでほどいてみましたが、尽きることがありませんでした。
夫は不思議なことがあるものだと思って、俊馬の尾に織機の糸の端を結びつけ、馬を走らせてほどいてみることにしました。
鞭を当てられて馬が駈け出しました。千里も走った頃でしょうか、漸く糸が尽きましたが、その時織機の端から、蛇が這い出し、その姿を消してしまいました。
織機の端に、紙片が結んでありましたが、そこに次の歌が書いてあったそうです。
「恋しくば尋ねきてみよ下野の、那須のこてやのあやおりヶ池」
その後桓武天皇のころ、山城国の平安に都を遷したとき、妻女が綾を織った場所を、『綾小路』と名づけたそうです。なお、その後妻女の行方は、皆目わからなかったそうです。奈良の『猿沢の池』辺で目撃した者があるとの噂が流れたことがありますが、定かなことではありません。(一二『那須記』による)
妻女は、素晴らしい『綾絹』の織女でありました。夫は、見事に織り上った品を見て、これを私するのは恐れ多いことであると、京に上り、天皇さまに献上し、沢山の御褒美を載いて帰郷しました。
自宅に帰宅しましたが、折悪しく妻は留守でありました。夫は、機場にでも居るのかなと思って、部屋を覗いて見ましたが、その姿は見当りませんでした。
漢人の夫は、妻女の織り糸が尽きることがないことを思い出し、織機の糸を三日がかりでほどいてみましたが、尽きることがありませんでした。
夫は不思議なことがあるものだと思って、俊馬の尾に織機の糸の端を結びつけ、馬を走らせてほどいてみることにしました。
鞭を当てられて馬が駈け出しました。千里も走った頃でしょうか、漸く糸が尽きましたが、その時織機の端から、蛇が這い出し、その姿を消してしまいました。
織機の端に、紙片が結んでありましたが、そこに次の歌が書いてあったそうです。
「恋しくば尋ねきてみよ下野の、那須のこてやのあやおりヶ池」
その後桓武天皇のころ、山城国の平安に都を遷したとき、妻女が綾を織った場所を、『綾小路』と名づけたそうです。なお、その後妻女の行方は、皆目わからなかったそうです。奈良の『猿沢の池』辺で目撃した者があるとの噂が流れたことがありますが、定かなことではありません。(一二『那須記』による)
この話も、篠原『鏡が池』の『水の精』と同じく、池の主(ぬし)『綾織姫』が、その正体である蛇身を見られ、水路を塞ぎ(この場合は、こゝに伝わる『貸椀伝説』(里人の不実)と池の決潰という伝承という要因とがからみ合っている)、御亭の綾織池から、他の水界に戻るという型で、一種の異類婚姻譚に属するものである。
このタイプは、(1)ある男が一美女と結婚する。(2)妻は美事な織物を無尽に織り続けるが、篭った部屋を覗かれることを禁ずる。(3)夫が禁を破って覗くと、妻は動物に変形している。(4)妻は覗きみられたことを恥じて、もとの水界に戻るという四つの型で、話は展開していく。『神々の系譜』(松前健)
そして、その根本思想は、海人達によって、竜蛇形の女神が、御子神を生む(こゝでは織物を生産すること)という、秘儀的な祭儀からきているということである。