那須の黒羽にある御亭山(こでやさん)は、古く小手谷、小塒とも書かれたロマンを秘めた美しい山である。この話は山頂近くにある綾織(あやおり)池にまつわるものである。
綾織池は、今でこそ水が涸(か)れ藻(も)が蔓(はび)こり、落ち葉に埋まる小さな沼地で、林野が祝融(しゅくゆう)の災にも遇いましたが、口碑によりますと延宝(一六七三~八〇)の頃堤(つつみ)が決壊(けっかい)するまで、水が満々と湛えられていたという。また池の周辺も千古の森をなし、松柏が鬱蒼(うっそう)とし葎(むぐら)が薮(やぶ)をつくり、昼なお暗いところであった。
むかしむかしのこと、麓の滝村に一人の農夫が住んでいた。農の傍(かたわら)、夏は那珂川の清流で漁(すなど)りし、冬は樵(きこり)を生業(なりわい)としていた。元山(もとやま)(杣(そま))である。
行く春を惜しむ或日のこと、蕨(わらび)が萌(も)え小鳥が囀ずる御山(おやま)に入り、薪(まき)を拾っていた。馨(かぐわ)しい匂いに誘われ、いつしか池の辺(あたり)に出ていた。そこには幾歳月を重ねた藤蔓(ふじづる)が桂(かつら)樹に竜蛇のように絡み、妖(あや)しくも美しい花を咲かせていた。農夫は幽玄(ゆうげん)なその美しさに暫(しば)し魅(み)せられていたが、思わず朽ちた桂の樹に磨(と)ぎすました斧を下(おろ)していた。藤の花を採(と)り、薪を作ろうとした。
農夫が二度目の斧を下そうとしたときである。どこからとなく美しいお姫さまが現れたかと思うと「わたしはこの辺にすむ綾姫(あやひめ)と申す者、こゝは豊玉彦命(とよたまひこのみこと)と豊玉姫命(ひめのみこと)をまつる霊域である。どうか木を伐(き)ったり穢(けが)さないでいただきたい」といったかと思うと、美しい姿は失(う)せてしまった。
その男(おのこ)は不思議なことに思いながら気に留めず、力づよく斧を下すと斧は手元を離れ、底も知らない深い池に沈んでしまった。彼は那珂川で泳ぎぬいた水練者であったから、憶することなく水中に潜(もぐ)った。
池の底に竜宮(りゅうぐう)があった。その宮居(みやい)は甍(いらか)を並べ軒瓦まで金銀が使われ、光り輝くさまは宛(さなが)ら極楽(ごくらく)のようであり、若者は夢みる心地で長いことそこに立ちつくしていた。
機殿(はたどの)で綾(あや)を織っていた綾姫は、降って湧いたこの男を見付け、先刻の事を思いながらも「何しに此処へ」と咎(とが)めた。男も訝(いぶか)りを隠しながら「わたしはこの麓村の者ですが、斧を誤まってこの池に落したので探しにきた。」と返答した。
綾姫はこの若者がこの霊域を穢したことを諄諄(じゅんじゅん)と戒(いまし)めながら言葉を重ね「此処は竜神の宮居である。水徳の司(つかさ)どる神々の拠(よ)り所である。これから決してこの境内(けいだい)を穢さないと約束するなら斧は返しましょう」と固く誓わせ戻してやったという。
この話を伝え聞いた竜村の人々は、その後稲田を潤す竜沢(たつさわ)の水源地「綾織池」の辺に水神をまつる宮居を建て、これを守護しながく崇敬したという。例祭は五月八日、登拝者で賑わう。
綾織池は、今でこそ水が涸(か)れ藻(も)が蔓(はび)こり、落ち葉に埋まる小さな沼地で、林野が祝融(しゅくゆう)の災にも遇いましたが、口碑によりますと延宝(一六七三~八〇)の頃堤(つつみ)が決壊(けっかい)するまで、水が満々と湛えられていたという。また池の周辺も千古の森をなし、松柏が鬱蒼(うっそう)とし葎(むぐら)が薮(やぶ)をつくり、昼なお暗いところであった。
むかしむかしのこと、麓の滝村に一人の農夫が住んでいた。農の傍(かたわら)、夏は那珂川の清流で漁(すなど)りし、冬は樵(きこり)を生業(なりわい)としていた。元山(もとやま)(杣(そま))である。
行く春を惜しむ或日のこと、蕨(わらび)が萌(も)え小鳥が囀ずる御山(おやま)に入り、薪(まき)を拾っていた。馨(かぐわ)しい匂いに誘われ、いつしか池の辺(あたり)に出ていた。そこには幾歳月を重ねた藤蔓(ふじづる)が桂(かつら)樹に竜蛇のように絡み、妖(あや)しくも美しい花を咲かせていた。農夫は幽玄(ゆうげん)なその美しさに暫(しば)し魅(み)せられていたが、思わず朽ちた桂の樹に磨(と)ぎすました斧を下(おろ)していた。藤の花を採(と)り、薪を作ろうとした。
農夫が二度目の斧を下そうとしたときである。どこからとなく美しいお姫さまが現れたかと思うと「わたしはこの辺にすむ綾姫(あやひめ)と申す者、こゝは豊玉彦命(とよたまひこのみこと)と豊玉姫命(ひめのみこと)をまつる霊域である。どうか木を伐(き)ったり穢(けが)さないでいただきたい」といったかと思うと、美しい姿は失(う)せてしまった。
その男(おのこ)は不思議なことに思いながら気に留めず、力づよく斧を下すと斧は手元を離れ、底も知らない深い池に沈んでしまった。彼は那珂川で泳ぎぬいた水練者であったから、憶することなく水中に潜(もぐ)った。
池の底に竜宮(りゅうぐう)があった。その宮居(みやい)は甍(いらか)を並べ軒瓦まで金銀が使われ、光り輝くさまは宛(さなが)ら極楽(ごくらく)のようであり、若者は夢みる心地で長いことそこに立ちつくしていた。
機殿(はたどの)で綾(あや)を織っていた綾姫は、降って湧いたこの男を見付け、先刻の事を思いながらも「何しに此処へ」と咎(とが)めた。男も訝(いぶか)りを隠しながら「わたしはこの麓村の者ですが、斧を誤まってこの池に落したので探しにきた。」と返答した。
綾姫はこの若者がこの霊域を穢したことを諄諄(じゅんじゅん)と戒(いまし)めながら言葉を重ね「此処は竜神の宮居である。水徳の司(つかさ)どる神々の拠(よ)り所である。これから決してこの境内(けいだい)を穢さないと約束するなら斧は返しましょう」と固く誓わせ戻してやったという。
この話を伝え聞いた竜村の人々は、その後稲田を潤す竜沢(たつさわ)の水源地「綾織池」の辺に水神をまつる宮居を建て、これを守護しながく崇敬したという。例祭は五月八日、登拝者で賑わう。