(二) 毬かけ坂

1008 ~ 1008
 むかしむかしのお話です。蔵針の里とよびならわされた『蜂の巣原』に、一万余の勢子(せこ)がその輪を狭め、武士(もののふ)たちの雄叫びが聞こえてきます。妖狐『玉藻の前』を狩る巻狩が、毎日のように続けられていました。
 神出鬼没な九尾の狐は、天空を駈けたかと思うと、自在なからだを毬の如く体をまるめてころげ廻り、目にもとまらぬ速さで変化しましたので、どんな騎射の名手でも、施す術がありませんでした。
 二十尋(ひろ)にも及ぶ狐は、三国無双の変化ぶりで、時には上総介広常の騎馬の尾に、毬のような姿で、取りついていたので、見失うこともありました。矢を射かけたときは、その姿を消してしまいました。
 またある時は、馬の平首に、とり着きましたので、重代の名刀で切り下げましたが、空を切るばかりで討つことが果たせずついにその姿を見失ってしまいました。
 三浦介義純は工夫を凝らし、犬追馬場近くの坂に『毬』をかけ、的とし弓を射る稍古をしました。九尾の狐を毬に見立てての猛練習でありました。
 九尾の狐は間もなく退治されましたが、毬をかけた坂を今でも『毬かけ坂』と呼んでいます。