三、那須余一伝説にまつわる話

1010 ~ 1011
 那須余(与)一宗隆(なすのよいちむねたか)は日本一の弓取りである。八溝の怪鬼岩岳丸を退治したという須藤権守貞信は先祖である。資隆の十一子で、父の據った黒羽の『高館(たかだて)』で生い立った麒麟児である。
 那珂川で水練し、那須の広野を駈け、雲雀(ひばり)を友に弓を稽古し、坂東(ばんとう)の若武者に成長した。
 余一は源平合戦に際し、兄為隆と九郎判官義経の軍勢に加わり、西国に出陣していった。
 元暦二年(一一八五)如月(きさらぎ)、扇の的を射たときの『屋島絵巻』は、華やかであり、『平家物語』・『源平盛衰記』や、唱歌、琵琶等にも奏でられ、人々に感動を与え、千古の輝きをみせた。なお『那須記』には、『与一宗隆扇射事』と採録されている。
 黒羽地方には、今も数多の『余一伝説』が生き続けている。『那須の余一は三国一の男美男で旗頭』と田植と盆踊り等に歌いこめられている。
 こゝでは、黒羽地方の代表的な『余一伝説』を紹介することにする。