むかしむかしのお話です。那須の頭領須藤太郎資隆(すけたか)に、十二人の男の子がありました。光隆・泰隆・幹隆・久隆・之隆・実隆・満隆・義隆・朝隆・為隆・宗隆・頼資がそれであります。
このお話は資隆の十一子、余一宗隆の出生にまつわるものであります。
資隆公の北の方(正妻=小山政光の妹)が御懐妊なさいましたが、月が満ち、さらに二年近く経っても出産がありませんでした。
不思議なことだと思って、八幡の神前にお湯を奉って、お祈りをいたしました。
やがて神のお告げありました。
「大槲(おおかしわ)村の八竜神のたゝりである。早く参内(さんだい)して、八竜神を改めて、大頭龍権現(だいずりゅうごんげん)と宝号すれば、平産することでしょう。」
大槲村の八竜神さまというのは、今の川上にある大頭龍神社のことであります。
さきに大槲郷の大蔵(おおくら)影光が、資隆の先祖須藤権守貞信に従って、八溝の岩岳丸を退治しましたが、その後も悪霊が毒蛇と化し、村人を悩ましたので、その鎮祭のため竜神を祀り、『頭沢(かしらさわ)大明神』と称してきたお社であります。
「八溝の岩岳丸の悪霊が、貞信卿から七代の資隆の子『余一宗隆』出生にまで、その障(さわ)りがあろうとは――。」
まことにおそろしいことであります。
資隆公は、早速『頭沢大明神』の宝号を『大頭龍権現』と改められました。
北の方は、目出度く男子を出産なさいました。出生児は、二十四か月間も母の胎内にあったのですから、並みの子ではありません。きっと天下に名高い武将になるだろうと、資隆公は大へんの喜びようです。
角田八郎等が産湯を差し上げ、『那須余一宗隆』と命名申し上げました。
このお話は資隆の十一子、余一宗隆の出生にまつわるものであります。
資隆公の北の方(正妻=小山政光の妹)が御懐妊なさいましたが、月が満ち、さらに二年近く経っても出産がありませんでした。
不思議なことだと思って、八幡の神前にお湯を奉って、お祈りをいたしました。
やがて神のお告げありました。
「大槲(おおかしわ)村の八竜神のたゝりである。早く参内(さんだい)して、八竜神を改めて、大頭龍権現(だいずりゅうごんげん)と宝号すれば、平産することでしょう。」
大槲村の八竜神さまというのは、今の川上にある大頭龍神社のことであります。
さきに大槲郷の大蔵(おおくら)影光が、資隆の先祖須藤権守貞信に従って、八溝の岩岳丸を退治しましたが、その後も悪霊が毒蛇と化し、村人を悩ましたので、その鎮祭のため竜神を祀り、『頭沢(かしらさわ)大明神』と称してきたお社であります。
「八溝の岩岳丸の悪霊が、貞信卿から七代の資隆の子『余一宗隆』出生にまで、その障(さわ)りがあろうとは――。」
まことにおそろしいことであります。
資隆公は、早速『頭沢大明神』の宝号を『大頭龍権現』と改められました。
北の方は、目出度く男子を出産なさいました。出生児は、二十四か月間も母の胎内にあったのですから、並みの子ではありません。きっと天下に名高い武将になるだろうと、資隆公は大へんの喜びようです。
角田八郎等が産湯を差し上げ、『那須余一宗隆』と命名申し上げました。