(二) 那須野のひばり

1014 ~ 1014
  むかしむかしのことです。那須の余一宗隆は、毎日のようにお供(とも)を連れて、那須野で狩りをしていました。
 余一は空駈ける雲雀(ひばり)を射落して、弓の稽古をしました。射る度毎に矢が雲雀に命中して、ひら/\と舞い落ちてきました。従者の若侍たちは、その上達ぶりに感心し、わがことのように誇らしく思っていました。
 あるときのことです。旅の僧(西行法師)がその場に通りあわせ、余一が、天高く舞う雲雀をめあてに射るさまを御覧になられました。そして余一に申されました。
 「あなたは弓の稽古をなさっているようですが、あのように、無心に囀(さえず)っている雲雀を、どうしてお殺しになるのですか……。」
 余一は弓の稽古のために、尊い雲雀の生命(いのち)を殺(あや)めていた前非を悔い、悪夢から醒めたように雲雀を打ち落としても殺さないで射る手立てを考えてみました。
 飛雀が中天に飛ぶのをみすまして、蹴爪(けずめ)をねらって射れば、矢が蹴爪に当ったとき一時気を失うだけで落ちる。しかも、命(いのち)に別状ないことに気がつきました。
 余一はその思いつきを実行しました。容易な業ではありませんでした。弓は見事蹴爪に命中し、生きながら雲雀を落とすことができました。
 そのころ、那須野の空に舞う雲雀には、蹴爪のあるものが一羽もいなくなったということです。余一は、生命の尊さを身をもって体験から学び、日本一の弓取りに成長していきました。