(四) 白米城

1015 ~ 1016
 むかしむかしのお話です。『壇の浦』のいくさで、平家が西海に落ちのびて暫く経ってからのお話であります。
 那須太郎資隆は、高館城に住んでいましたが、光隆など九人の子ども達は平家に属していました。拮抗した源平両勢力のなかで、血統を絶やさず、生きるためには、骨肉が相わかれ、両陣営に属することは、止むを得ないことであり、当代に生きる人々の宿命でもありました。
 元暦二年(一一八五)の戦いに、余一宗隆が屋島で扇の的を射て、輝かしい功績をたて、五箇庄を賜りましたが、戦に敗れた光隆等は、ひそかに高館の城に戻ってきました。両親の資隆はたいへん喜んでいました。