二 城中の馬を白米で洗う

1016 ~ 1016
 軍監の梶原景時等は、範頼の旗下として、軍議を開き、「高館の地形から推し計ってみると、艮(丑寅)の方向に水源があるらしい。その生命(いのち)の水を断(た)て」と、命令がくだされました。こうして水源をめぐって激しい攻防が続きましたが、とう/\、水源は敵の手中に陥ってしまいました。
 僅かな水で喉の乾きを潤しながら、苦しい篭城が続きました。水と糧食とは僅かとなってしまって、城兵は、疲れ果て、戦う気力も無くなり、今は落城を待つばかりであります。
 資隆は、決死の覚悟をなし、窮余の一策を立て、「大手の門外に馬を引き出し、湯洗いするようにみせかけよ。敵方は城内に万石の水があると思って、艮(うしとら)の水源から徹退するだろう。その間に急ぎ水を汲み揚げよ。」と命ずるのでありました。
 資隆は水が豊富にあることを敵味方に見せかけるため、水のかわりに白米を使って、敵をあざむきました。
 こうして何度か激しい戦いが繰り返されましたが、寄せ手も攻め倦(あぐ)んで、長期戦の様相を呈しました。