(四) 黒羽町立黒羽小学校

1031 ~ 1033
〈校章の意味〉「雁木丸に桜」を配したものである。旧黒羽藩大関家の家紋の一部雁木丸と日本の象徴である桜の組み合せは黒羽藩学「作新館」の伝統をくむ本校の校章としてふさわしいものであろう
(制定明治十九年)




〈所在地〉黒羽町大字黒羽田町五二五番地



〈沿革〉
明七・七・二三   私立小学設置許可につき開校す(本校創立)。
七・一〇・二   学区定められ第一大学区第三十九番中学区自第一七九番小学区至第一八三番小学区聯区第二四番小学大関私立作新館と称す。

 一八・八     那須郡第十三番学区黒羽東校と改称す。
 一八・一二・三一  私立小学作新館廃止す。
 一九・一・一五  黒羽西校分舎の名義をもって授業を継続する。
 二〇・四・二二  那須郡第三番学区黒羽尋常小学東校と称す。
 二〇・九・七   那須郡第二高等小学校設置、本日開校。
 二三・三・三一  那須郡第二高等小学校廃止。
 二三・四・一   黒羽尋常高等小学校と改称
大一・一一・    大字黒羽田町大宿の地一町四畝一六歩(一町四歩増田新七氏寄付、一畝一九歩黒羽町寄付、二畝二三歩買収)を画し校舎を新築す。建坪六三三坪五合 工費二〇三二一円。

 二・四・一    黒羽第一尋常高等小学校と改称。
 四・四・一二   高等小学校補習科設置。
昭一二・      二階建校舎一棟(一六教室)便所二増築落成。
 一六・四・一   国民学校令施行により黒羽第一国民学校と改称。
 一八・七・一   納三六部隊駐屯、校舎の大部分を使用。
 一九・八・三   東京文京区元町小学校学童疎開し本校に学ぶ。(一年二か月)
 二二・四・一   新学制(六・三制)実施により黒羽町立第一小学校と改称。
          同校舎内に黒羽町立第一中学校開校(現黒羽中学校)。
 二二・四・    那須農業高等学校定時制黒羽分校開校(現黒羽高校)。
 二八・八・三一  右校前田赤台に校舎新築落成移転。
 二九・一二・二〇 創立八十周年の式典挙行。
 二九・五・三〇  黒羽町立第一中学校々舎岡の台(五峯台)に新築。
 三〇・二・一一  町村合併により黒羽町立黒羽小学校と改称。
 三九・一一・二六 創立九十周年記念式典並に記念事業を行う。
四六・四・一   両郷西小学校昭和四十六年三月三十一日で廃校となり、本校に統合される。

四八・一〇・一七 優良「こども銀行」として大蔵大臣、日本銀行総裁より表彰を受ける。

 四九・六・五 創立百周年記念式典並に記念事業を行う。
〈歴代校長〉
1 渡辺傳   明 七・四 ―四四・八
2 安藤又四郎 明四四・八 ―大四・一
3 渋江義也  大 四・四 ―一〇・三
4 稲野鉦四郎 大一〇・四 ―一四・四
5 橋本健三  大 四・五 ―昭四・九
6 塚原朔二  昭 四・九 ―一〇・八
7 豊田得三  昭一〇・九 ―一五・三
8 磯野親男  昭一五・四 ―一八・六
9 野口規矩雄 昭一八・七 ―二一・三
10佐藤恵司  昭二一・四 ―二二・三
11小林庸晃  昭二二・四 ―二八・三
12浅井義一  昭二八・四 ―三〇・三
13高梨武   昭三〇・四 ―三四・三
14森政男   昭三四・四 ―三七・三
15永山喜代次 昭三七・四 ―四二・三
16阿久津正二 昭四二・四 ―四七・三
17白石貞男  昭四七・四 ―五二・三
18伊藤弘恵  昭五二・四 ―五五・三
19尾畑松雄  昭五五・四 ―

〈校歌〉
 現在の校歌(自昭和三十三年四月二十日)
           作詞 磯野親男  作曲 大野三光
一、那珂の流れのつきぬよう  歴史にはえる学びの園に
 つどうよい子の心も清く  手に手を組んではげもうよ
 みんなぼくらは黒羽小学生
二、八溝のやまなみゆるぎなく  とわにさかえる窓もさやかに
 いそしむ道のほまれも高く  自立の花を咲かそうよ
 みんなぼくらは黒羽小学生
三、空すみわたる黒羽の  光をあびて強い子よい子
 あふれる生気みなぎる力  あすの世界にとびたとう
 みんなぼくらは黒羽小学生
 以前の校歌
                作詞 蓮実長  作曲 不詳
一、高く聳ゆる黒羽の城の基のいや堅き
 遠つみ祖のみ精神を胸にきざみて諸共に
 よき国民と生ひ立ちて君のみ陰に報ゆべし
二、清く流るゝ那珂川の千尋の淵のいや深き
 我が学舎のみ教へを心に鋳りて諸共に
 よき国民と生ひ立ちて君のみ旨に応ふべし