(四) 黒羽町立両郷中学校

1046 ~ 1047
〈校章の意味〉初代校長益子清夫の発案で栃の葉に校名をあらわしたもの
(制定昭和二十二年五月)




〈所在地〉黒羽町大字中野内五八〇番地



〈沿革〉
昭二二・四・一  教育制度改革により六・三制の実施。
〃・五・一   両郷村立両郷中学校創立。仮校舎として両郷中央小学校一棟(十教室)に三〇九名収容校舎裏を校庭とする。

〃・五・二四  国有林五町五反二十七歩学校林として五十二年間借用し造林計画をたて植林(杉、桧、一八、〇〇〇本)。

〃・七・一   村議会において中学校建設を決議し敷地は大字中野内中山台六七五坪と決まる。

 三〇・二・一一 町村合併により黒羽町立両郷中学校と改称。
三四・五・一五 大字中野内中山台に校舎新築(建坪三六〇坪 敷地六七五坪)。

 三六・六・二五 体育館落成式挙行(三十六年四月二十八日竣工)。
 〃・五・一五  増築校舎完成。
 五一・六・三〇 体育館、物置完成。
〈歴代校長〉
1 益子清夫 昭二二・四 ―二八・三
2 鈴木勝馬 昭二八・四 ―三七・三
3 大貫一  昭三七・四 ―三九・三
4 金澤久衛 昭三九・四 ―四三・三
5 五十嵐弘 昭四三・四 ―四六・三
6 荒井茂樹 昭四六・四 ―五〇・九
7 池澤三男 昭五〇・一〇―五四・三
8 大沼文雄 昭五四・四 ―五六・三
9 大村洸  昭五六・四 ―

〈校歌〉     (自昭和三十七年四月)
          作詞 泉漾太郎  作曲 鈴木満雄
一、みよこのながめみな清き
 泉が丘の学び舎は
 希望にもゆる 若人が
 里の恵みにこたえつつ
 結びて励む 精舎なり
 両郷中学夢うるわしや
 栄あれこの丘わが母校
二、みよ八溝山ほほえみて
 鵜黒をたとう那須の野は
 理想に進む 若人が
 里の文化を綴りつつ
 三とせを努む精舎なり
 両郷中学道つつましや
 輝けこの地 わが母校
三、みよ那珂川の水映えて
 錦をかざる 高館は
 平和を愛ずる若人が
 里の歴史を誇りつつ
 睦みて歌う精舎なり
 両郷中学唄なつかしや
 薫れよこの幸 わが母校