(二) 青年訓練所

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 青年学校の主たる前身である青年訓練所は大正十五年に設置された。大正の末期から昭和の初めにかけては、第一次世界大戦の影響により産業の大発展をきたした結果、未曽有の好景気を呈し、奢侈に流れ、浮華軽佻の風を生じ、一面戦後種々の悪思想が侵入し国民思想に動揺をきたし、加えて関東大震災を受け、ここに「国民精神作興に関する詔書」の喚発をみ、国民の思想を一定の方向に誘導しようとした。他方、当時の世界的軍縮のもとで、軍人の失業と、国民の軍事訓練の低下をもたらすことが考えられた。そのための一つの対策が、大正十四年の「陸軍現役将校学校配属令」であり、他の一つが、新しい青年訓練所の設置による下士官の指導員としての救済とそれによる国民の軍事訓練の強化であった。教練科の指導員が任命され、年々査閲が盛大に挙行され、野外教練、発火演習あるいは郡下あげての秋季連合演習は当時の偉観であった。宇都宮五十九〓隊および金丸廠舎における訓練、あるいは校長、専任教員の兵営における軍事教練の講習等は、実業補習学校の性格を一変し、やがて軍事色一辺倒となる前提であった。この青年訓練所は十六歳から二十歳までの男子を対象とした実業補習学校とほぼ同じもので、教員や設備の点で重複することが多くなり、制度を複雑にし、地方財政の負担を重くし、社会の実情に即さないということで、昭和十年「青年学校令」を公布した。このため実業補習学校の性格は、これ以後新しい青年学校に受け継がれることになった。