年々人口が増加する我が国にとって人口問題は多年の懸案であった。昭和七年わが国の授助によって満州国が建国されると両国の協定により満州移民が開始された。昭和七年第一回農業移民を送り、更に十二年度からは重大国策として向う二十ケ年間に百万戸五百万人の移民計画が樹立された。これらは一般成人の移民であったが、昭和十三年三月には満蒙開拓青少年義勇軍の名のもとに青少年の移民制度が確立されたのである。これは、青年学校、高等小学校の年齢の青少年のうちから満蒙の生活経験を積ませ、やがて日満一体、共存共栄の実をあげさせようとする国策であった。義勇軍の人員数は希望者を募集するという形式ではあったが、半ば強制的であったので、各学校の校長教師は、各家庭を訪問し説得につとめたのであった。
昭和十四年に本町から送り出した青少年義勇軍の数は左の通りである。
川西四名・黒羽六名・須賀川二名・両郷三名