明治十八年(一八八五)黒羽田町に戸長役場がおかれた。
旧黒羽町役場は、黒羽田町八雲神社の隣地、現在の田町集会場の敷地に置かれてあったが、昭和二十四年(一九四九)六月、個人所有家屋を買い受けて、現在黒羽町役場本庁のある黒羽田町六百二十二番地に移転した。
旧川西町は、明治二十二年(一八八九)四月町村制の実施にあたり、黒羽町から分離し、古い地名である川西をとって新町名とし、役場の庁舎を現黒羽町商工会館のある黒羽向町百十二番地にたてた。
旧須賀川村では、明治十七年(一八八四)四月須佐木に戸長役場がおかれた。明治二十二年四月町村制実施にあたり、五カ村を合併して須賀川村とし、役場を大字須佐木四十六番地現在黒羽町役場須賀川出張所のある所においた。
旧両郷村は、明治二十二年(一八八九)四月村内九ケ村を合併して両郷村と称し、大字河原鈴木鶴太宅を役場として仮用した。明治二十三年十一月大字中野内に庁舎を新築し移転した。ここは小学校の敷地内にあったので、就学児童の増加にともない校舎・校庭とも狭隘となり、大正三年(一九一四)一月大字中野内七百七十八番地、現在の黒羽町役場両郷出張所のある所に新築移転した。
昭和三十年(一九五五)二月十一日、黒羽、川西、須賀川、両郷の二町二ケ村合併後の役場は、旧黒羽町役場跡に新築された。然し一部に既存の建物もあり年々複雑多様化する行政事務、社会住民の要望に対応できなくなってきた。そのため、老朽不用建物を整理し、管理関係室、町議会会議室等が増築され今日にいたっている。
現在庁舎狭隘のため、水道課は本庁舎と道路をへだてた南側の町有地、元職員研修所跡に、教育委員会学校教育課は山村開発センターに、また社会教育課は、町民体育館及び中央公民館で事務を遂行している。