(一) 農会

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 農会は、明治三十二年六月公布された農会法に基づき創設されたものであり、会長はいずれも地方団体の首長が推せんされた。これは行政機関と密接な関係を保つためであり多くの農会は役場庁舎にあった。
 農会法は、全文五ケ条の簡単なものであり、第一条は農会は農事の改良発達を計る為に設立する。第二条農会の規程は命令を以って之を定む。第三条・四条・五条は補助の仕方が書いてあるのみである。
1黒羽町農会は
(1)種苗の改良普及  (2)緑肥の奨励と施肥の合理化  (3)煙草作の奨励と技術指導  (4)産業組合の普及奨励  (5)馬耕奨励と技術指導  (6)畜産の改良普及(特に馬) (7)病虫害の防除奨励

 主として以上のような事業を行った。
昭和二年九月現在農会役職員
(栃木県農業団体史より)
会名会長副会長幹事技手会員総数
川西町農会町長飯島元太郎菊池三之助藤田亀吉室井丈之助六三六
黒羽町農会町長松本六六大場忠六菊池伝之助田中重光八一八
両郷村農会助役大塚英雄松浦子之次郎藤田忠弥手塚芳樹六一七
鈴木宇太郎松本兼之助
須賀川村農会助役菊池憲智佐藤虎之助菊池直次郎佐藤加納六八七


黒羽町農業協同組合


川西農業協同組合

 昭和十三年三月、国家総動員法が発動され、農会は食糧増産の責任団体として強度な統制権が附与されたことは画期的なものであった。
 これにより農会は農林省並びに県の命令により次の事項を行った。
 1農業労働力の調整
(1)、地区共同作業の指導  (2)、農作業の改善  (3)、移動労力の斡旋と学徒動員

 2農業用資材の配給調整
  (1)、肥料 農機具 農業用石油
 3麦類の配給統制
 昭和十五年六月、麦類配給統制規則が公布実施され、政府の麦買入は軍用供出確保と食糧需給の調整を目的としたもので、供出数量が市町村農会に割当られると、出荷計画を樹立し、その発行する出荷通知書によって産業組合は地区組合長を通じて集荷するものとした。この取扱報告書を農会に提出させ、凡て農会の出荷統制によらなければ売買出来なかった。
 4米穀の国家管理
 米穀の国家管理は、昭和十六年十月より実施され割当による供出制度となった。即ち農林省は県に対し、県は町村に対し、供出の数量を割当、農家はその生産する米穀を政府以外に販売することが出来なくなった。当時すでに肥料・資材・労力の不足により減少の一途を辿る米に対し割当が強く農会の努力は容易でなかった。
 黒羽町に関係ある県役員並びに職員表彰者は次の通りである。
 渡辺政一郎 昭和二年九月栃木県農会副会長
 同     昭和六年一月栃木県農会長
 落合章太  昭和十七年紀元節に産業功労者として表彰される。