(四) 農業協同組合

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 昭和二十年八月十五日、ポツダム宣言受諾、九月二日無条件降服となった。十二年七月、日華事変勃発以来満八ケ年の長期にわたり、国力のすべてをかけて戦争につぎ込み、国内にあっては生活のすべてを犠牲にした国民にとっては、敗戦の現実はあまりにも深刻であり、虚脱の状態におかれた。
 アメリカの占領政策の基本方針は、日本の軍国主義の一掃と民主化で、これに基づいて政治経済法律各分野にわたって次々と重要な指令が出されたが、これらのうち財閥解体を中心とする産業金融の民主化、労働運動の自由確立、および農地改革は、日本経済の核心に触れる改革であった。
 昭和二十二年十二月十五日、農業会は否定的批判が下され、新しい農業協同組合法が施行された。これと表裏の関係にある農業会の解体整理の規定も、単独法として同日付で施行された。
 この法によると
 1現在の農業会は協同組合法施行後八ケ月以内に解散すること
 2農業会の資産処分に関しては資産処理委員会を作り厳正に行うこと

 このため町村農業会は、昭和二十三年八月十四日まで存続し八月十五日より清算事務を行った。
 農業会は戦時体制による官僚的組織で設立されたが、農業協同組合は農民の手で組合を作り、民主化を促進し、組合員の社会的経済的地位の向上を図ることを目的として、設立されたもので、設立については次の点に留意するよう指示された。
 1組合の運営に参加する組合員の資格は農民に限ること
 2十五名以上の農民で設立出来ること
 3自由の原則により加入脱退は自由であること
 4組合は農業生産体である趣旨に基づき、生産に関する事業の強化を図ること
 5行政庁は組合の自立性尊重の建前から監督権を一定範囲に制限すること
6同一地区に二つ以上の同種組合が設立される場合は、組合員の二重加入を認めない

 7公職追放令該当者は、農業協同組合の役員に就任しないこと
 8組合の設立総会は組合員の半数以上出席しなければこれを開けない
9組合員の資格は耕作面積一反歩以上又は農業従事日数九十日以上の農民、但しこれと異る場合は判断資料を提出すること

 10役員は選挙に於て選任すること

 これ等の指示に従って黒羽町の農業協同組合は左記の通り設立された。