1 総合農業協同組合設立状況・昭和二十二年十二月十五日現在

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 農協の設立は極めて短時日に完成したが、まだ戦後のインフレが収束されず、泡沫的な農村景気が部分的に見られ、政治的には農地改革による農民解放の風潮する中であり、農協の設立は農業会の看板の塗り替えにすぎないと云はれたが、事実はまさにその通りであった。
組合名事務所設立年月日組合員出資金組合長
川西町黒羽向町四四九昭和二三、八、四五五一二九七、四〇〇池澤文吾
黒羽町黒羽田町三三昭和二三、五、二五七五〇三八五、七〇〇大野清司
須賀川東部須賀川一六八一昭和二三、五、三一不明一一八、〇二〇菊池甚之助
須賀川西部須佐木二〇三昭和二三、四、一六四四四二一二、八二〇渡辺栄作
両郷中野内七九〇昭和二三、四、二一九四九三四一、五〇〇狸塚栄
(栃木県農業協同組合史より)

 役員選挙の方法が大きく改変された。産業組合時代は議長の指命又は選考委員による選出方法であったが、農業協同組合は投票によることになって、政治屋の動きが活発となり、出資金百円を投じ一農家に数人の組合員を仕立て投票した。従って左記の通り組合員が急激に増加した
昭和十六年度末組合員数と設立当時の組合員
農協川西黒羽須賀川両郷
年度
昭和十六年三九二六一四五六四五八八
設立当時五一四七〇四四〇一八六四

 須賀川東部は設立当時の組合員数は不明であるが、昭和二十四年六月末の組合員は二二〇人となっている。尚須賀川東部は二十五年度の栃木県農業協同組合要覧に載っていないので、二十四年末に西部と合併し須賀川農業協同組合となった。