しかしながら、時代の変遷と共に商工業をとりまく環境は一変し、従来の経営を持続することが、極めて困難な時代となった。
このような時、各地に商工業者の組織体としての、商工会の制度化が提唱され、政府もその必要性を認めて、昭和三十五年、「商工会の組織等に関する法律」を公布した。
この法律は、主として町村における商工業の、総合的な改善発達をはかるための組織として、商工会を設け活発な事業活動を行なう事ができるようにしたものである。
県内においても、法施行とともに、任意の商工会から、法制化商工会に設立移行することになった。当町は、やゝ出足が遅れた感はあったが、県や町当局を初め関係各位の設立指導を受け、昭和三十七年(一九六二)にいたり、設立のための諸準備を進め、昭和三十七年四月、黒羽町公会堂で設立総会が開催され、黒羽町商工会が誕生した。昭和三十七年六月、県知事の認可を得た。当初会員は五百五名であったが、現在六百二十一名に増加している。
昭和四十年(一九六五)九月、婦人部を設立し同部員は二百四十四名である。
昭和四十一年九月、青年部を設立した。部員は八十名である。
現在本会内に、商業部・工業部・金融部・青年部・婦人部・青色申告部・青色申告婦人部の七部会が置かれ、定款と規約にもとづき活発な活動がつづけられている。
昭和四十六年(一九七一)十一月、黒羽町商工会創立十周年記念式を挙行した。
昭和三十七年本会発足以来、旧黒羽町役場庁舎(黒羽田町八雲神社隣)を借用し、商工会事務所としてきた。
昭和五十二年(一九七七)の通常総会で、商工会館建設が議決され、各方面の理解と協力、助成を得て、旧川西町役場庁舎あとに、昭和五十五年二月、近代的商工会館が新築され、事務所を移転した。商工会が今後の本町商工業の発展と、地域社会の福祉向上の中核となる事が期待される。
黒羽町商工会館
初代会長に伊藤虎雄、次いで鈴木重幸、昭和四十六年(一九七一)より、石戸大秀が選任され現在にいたっている。事務局職員は五名で、経営指導員二、記帳専任職員二、補助員一となっている。