(一) 黒羽向町

1086 ~ 1087
 こゝはむかし石井沢・奥沢村と呼ばれたところで、那珂川右岸段丘上に立地し、那須扇状扇端湧水地帯にある。
 湧水を集めた堂川が流れ、一般に低湿地で、向町・奥沢の集落が開け早くから稲作がおこなわれてきた。なおこの地の大部分は構造改善により基盤が整備された。
 築地は台地にあり、縄文遺跡地で長く乾燥面で、畑が島状的に開かれたが、現在は電気揚水による開田化が進み、浄水場と工場なども立地し、全面的に開発が進んでいて、むかしのおもかげは全くない。
 また那須狩倉の『ますがた』の地で、『奥沢館跡』・『築地館跡』の土塁は僅かではあるが残っていて貴重である。
 黒羽向町の主な地名に、築地・奥沢・上町・下町・堂川・油田・盤昌(ばんじょう)・上の台・石井沢・御山台・築地前・蜂巣原・辰之口・窪田・松並・若林・堂林などがある。
 向町(上、下町)は大関高増黒羽移城と共に形成された城下町で、慶長十八年(一六一三)ころは荒宿(あらじゅく)(新しく開かれた宿の意)と呼ばれたところ。街村型集落型をみせ、河岸(かし)(一六五五年ころから)も設けられていた。余瀬から市神(一六七三~)を勧請し、馬市も立ち商人町として繁昌したところである。
 東野鉄道開通(一九一八)後は駅前通りが新設され、旭町、寿町、栄町なども形成され、製材工場も立地し、材木の町『黒羽』の表玄関となった。
 鉄道廃止後は東野のバスターミナルとなり、工場もでき集落が西方へと伸びている。また町裏にはよく城下町のおもかげを残している。堂川は、むかし『蛍』の名所で、水車の群がみられた。『山崎地蔵尊』があり、『大関増次墓所』も近傍にある。

黒羽向町の集落景観