(三) 余瀬

1088 ~ 1088
 余瀬(よぜ)は那須野が原扇状地「扇端湧水地帯」の湯坂川流域にある。ここは台地と河川低地が交互に配列する南北性の地形構造のなかにあり、地名がこれを示し、水流も豊かである。
 歴史がかおり、詩情豊かで、古く『粟野宿(あわのじゅく)』と呼ばれていた所である。
 主な地名に町田・前田・湯坂前・田中・直箟・白旗山・後田・本町・新宿原・大清水・八竜神・高橋・中島・上田中などがある。
 白旗丘陵の畑地から矢の根石・縄文土器・石皿などが出土し、鎌倉~室町末期の要害があった所である。伝えによると源氏が白旗を飜(ひるがえ)し、大関氏も砦を構え、この頃ここに帰一寺と大雄寺もあったという。
 麓の集落は『粟野宿』である。市場が開け、問屋(とんや)が置かれ、宇都宮から白河の関に通ずる街道筋で、人馬の往来があり、賑った所である。
 余瀬は古宿で歴史が深く、豊かなだけに、牧歌的な夢を誘う地名も多く残されている。上の原・上の坊・観音山・館の越・市場川・筋交(かい)橋・八幡田・繰(あやつ)り場・楼(やぐら)下などはその一例である。