桧木沢は、那須扇状地扇端湧水地帯の東部に位置し、地形上高燥な台地と水の豊富な低湿地にわけられる。
主な地名に上ノ台、砂ノ目、細工田、一本木、女鹿子島、滝ノ上等がある。
桧木沢の地名は土地の姿を最もよく表わしている。『那須郡誌』には「上ノ台は桧(ひのき)が繁茂し、女鹿子島は沢地なれば」とある。
西部は丘陵地である。一般に林野を形成し、島状的に開発が進められてきた。芭蕉はこの台上を余瀬から野間へと進み、この辺りで『野を横に』の句をよんだものとみられている。時鳥(ほととぎす)のなく夏野は美しいものがある。
この上ノ台(低地との境付近)に『湯泉神社』がある。文安元年(一四四四)創建の古社で、主祭神は『大己貴命』と『少彦名命』であるが、大正五年(一九一六)高蕨(たかわらび)から遷(うつ)した『火のかく土命』もまつられている。
社叢(しゃそう)は鎮守の森にふさわしく、境内には『六地蔵・石幢(せきとう)』があり、信仰の深さを思わせる。
古い神事が今もみられる富士神社があり、地福院もあった。砂ノ目、女鹿子島の「目、女=目」は、扇状地特有の地名で、目形をした地形につけられる名である。
この辺り、至るところに湧水があり、水流でめぐらされている。あたかも目の荒い竹篭(たけかご)のようである。現在は、那須野ヶ原総合パイロット事業のなかで、基盤整備がなされ、全く面目(めんぼく)を一新した。惜しいことに細流の水面に榛(はん)の木が映り、蛍が飛び交(か)う風情はその数を少なくした。
ここは清冽(せいれつ)な湧水が豊富な土地であるから、養鱒(ます)場がみられる。むかしは氷室(ひむろ)があり、天然氷がつくられたこともある。
「溜(ため)は北に二つ、東の方に一つあり、いずれも用水に用ゆ」と『創垂可継』(文化十四年〈一八一七〉)にある。また灌漑に使った岡右衛門堀などの遺構も追跡できる。先人の足跡を保存することは意義深いことであり、大切なことである。