(六) 寒井

1089 ~ 1090
 寒井(さぶい)は町の西北部に位置し、那珂川の河岸段丘上にある。
 那珂川とその支流余笹川とが合流する舟戸(ふなど)(岐(さえ))の地であり、東山道「地元では関(せき)街道とか大将(大少)(たいしょう)道と呼んでいる」が通じ、その関門をなし、古来軍事、交通上の要衝地をなしてきた。『創垂可継』にも「往来は江戸より水戸筋への通りこれあり云々」と誌し、道標は宿(しゅく)北の『天王(てんのう)さん』をまつる祠前に現存している。
 むかしの寒井には問屋も置かれ、人々の往来と物資の輸送などで活気がありにぎやかであったといわれる。
 寒井の地名考には諸説があり、定説はないようである。そのうち広く知れ渡っているものを紹介する。
 那須氏が川田に居館を構え、高館に砦(とりで)を築くにあたって、白虎(びゃっこ)の地『寒井』に長道を開らき、向宿を設け、侍を居らしめた(那須郡誌)とするものである。
 また『源義経』の矢衣(やごろも)になった『佐藤継信(つぐのぶ)』という武士が居たからとか、北風が吹く寒い土地だからという説もある。
 思うにこの辺は関街道筋でもまわりの余瀬や桧木沢等と比(くら)べて、井泉の少ない所なので、寒井という地名がつけられたものとみられる。『寒』は『少ない』という意味に使われることがある。
 寒井地内の主な地名に矢組・下河原・大野室・上原・五輪平・舘下・三島・鮎ヶ瀬・湯泉前・明神前・糠塚(ぬかつか)原などがあり、上坪・下坪・三滝などの呼称もある。また行政上から本郷・北部・南部・西部に大別している。