(三) 堀之内

1091 ~ 1092
 ここは黒羽藩領のころ、藩主大関(おおぜき)氏の居所下であった所で、安政二年(一八五五)『書き上げ』によると、農家は僅か四戸でほとんどが藩士で家中出作りをしていたという。
 主な地名に河原・道向・河原町・沢口・松葉・前ノ内・堀之内・三ツ長・下り藤・古内・三斗蒔・外開田・清水田・梨下・山ノ神・東地蔵・矢所・丘庫山下・反田・小林下・岩谷下・小林・飛矢ケ沢・溜三入・外出・大谷地・駒ケ沢・長谷田前などがある。
 『堀之内(ほりのうち)』の地名は『城』や『館址』のある村に多いが、ここも高燥の丘の下に水田が広く開けて、その名にふさわしい集落である。そしてその名は、集落の東を流れる松葉川を城郭の堀とみたてたとする説もあるが、これは土地の頭領の支配の区画『手作り地内』を示したものと考えられ、黒羽でも早期に形成された集落の一つである。
」『堀之内』の『小字名称の起り』(秋庭誠氏稿)のうち、そのいくつかを紹介しておく。

①『堀之内の集落形成過程』大字堀之内で一番早く開けた土地は字「堀之内」である。現況をみてよくわかる。裏山には要害跡がある。二番目に開けたのは『小林坪』で、次いで『前之内』とみられる。そして『宮内(みょうち)坪』は、私有の土地が認められてから開けたのであろう。あるいは『宮内』は『名田(みょうでん)』・『名内(みょうけ)』がそのおこりであろうか。

②『沢口』大輪・大塩に入る沢口のことで、『山口』と同意である。かなり古い地名である。

③『河原町』一町四十五間、約二十戸程の家があった。『丸屋』・『越後屋』・『上州屋』・『白河屋』などと屋号で呼ばれる家が多い。はじめ河原に市が立ち、やがて集落が形成したものとみられる。

④『□□内』大字堀之内に『堀之内』・『古内』・『前之内』・『中之内』・『宮内』など『内』のつく集落名が多い。一般に早期に開けた土地につけられることが多い。

⑤『大堀橋』郷中の用水堀『大堀』に架してある橋の名。

⑥『仙太郎橋』仙太郎という百姓が住んでいた付近の橋。『近道橋』ともいう。

⑦『火燧坂』ここに『火打ち石』を貸してくれる茶屋があったという。

⑧『馬洗い場』沼の屋敷から鹿野に向って十五、六間登った切り通し付近にある。こんこんと湧く泉があった。

⑨『兵庫山』兵器を納めていたところ。付近に『飛矢沢』がある。