(一) 須佐木

1095 ~ 1095
 須佐木(すさぎ)は、八溝(やみぞ)山塊を刻む武茂川上流の谷間『須佐木平』にあり、瀬場・轟(とどろき)・鶴居・池口・杉の内・柳田・町田・雨蕨・柏久保などの各集落がある。
 主な地名に杉ノ内・瀬場町・笠木・八坂下・山口・九沢・木曽ノ内・阿久津・浄居寺・前原・十田沢・田ノ作・町田・石河原・入江内・山神・下町田・後田・木ノ下・亥之作・上り内・木曽分・小峠・西蕨・茗荷・東沢・唐松・員下・根岸・堂ケ作・轟・徳院・前田・宮脇・前ノ内・下河原・中居・田中・田観堂・田中辻・森之后・森ノ西・辻・中ノ内・堀之内・柏久保・精進場・谷津・五斗蒔・明地原・梅木久保・高田・小出谷・大清水・古武人内・切払・砂田・殿田・小狸穴・狸穴・后坂・中曽根・矢ノ作・林ケ沢・角見・一本杭・乗木田・高橋・高畔・山神堂・ 坂・鹿ノ作・滑り作・鳥居・峠下・北ノ入・仏供内・山崎・花畑・馬場・池口・阿久戸・中町・町入・長柄蒔・中田・二斗内・久沢・勝負沢・大狸穴・中居細田・芹久保などがみられる。
 ここは古く『洲崎(すさき)』と称したところで、慶長五年(一六〇〇)まで常陸佐竹氏の采配地で、須佐木十六人衆とか十六堂の名が残っている。その後黒羽藩主大関氏の領地となっている。
 旧藩時代三十六の枝村があったが、西の内・上之内・下之内・堀之内・前之内・二斗内・杉之内・善正内・仏供内など『内(うち)』の付く集落名が多いのが目立つ。なお行政上古くから上組・中組・下組にわかれていた。