(五) 南方

1097 ~ 1098
 南方(なんぽう)は清浄無垢な八溝山(一〇二二・二メートル)を刻む武茂川最上流の谷間に開けた詩情を誘う山里である。
 武茂郷(馬頭の辺り)で那珂川に合流する武茂川の源流である荻阜沢・樺山沢・小轟沢などを集めて南流し、田中付近で大川沢・浅ヶ沢・西入沢が合流している。南方はこの最上の流域にある。
 主な地名に、田中・西の入・下山・浅ヶ沢・高取(たかとり)・平清水・阿寺(あてら)・上南方がある。その他小屋(こや)・浜居場・蛇木(ひびき)・札場などがあり、前記の上南方に対し、中南方という総称も常用されている。
 武茂川の川上にある集落が川上である。ところがその上流であり北の方に南方という集落があるから不思議である。
 この地は近世の初めに黒羽藩領となったところである。もとは那須町伊王野辺に勢力をもっていた豪族の領内で、その南の方にあったので、南方(なんぽう)と呼んだのではないかといわれている。そこは今の上南方の辺りである。
 地区内に『阿寺』という地名がある。『阿寺』の『アテ』は一般に『陰地』につけられている。『アテラ』の『阿』は太陽の注(さ)し方が不十分であるという意味をもっている。この地が狭く南北性の谷であるから日照時間が少ないのでその地名が生まれたものであろう。この阿寺のことは民俗学の権威者柳田国男先生も著書(地名の研究)のなかで例示している。
 『蛇木』の『蛇』は土俗的な匂いがする。蛇木橋の名はもと蛇の這(は)う姿をした一本の橋であったからと想像される。しかし『蛇木』は『響(ひびき)』の意であり、渓流のせせらぐ音をその名としたものである。『須佐木』『轟(とどろき)』や『小轟沢』の『轟』と同意であるが、後者は川音の響は強くともに瀬場につけられた名である。瀬場の地名も須佐木地内にある。