(七) 久野又

1101 ~ 1102
 久野又(くのまた)は、みどり美しい八溝山地の東縁を刻む前松葉川と後松葉川とが合流する付近にあり、前郷に属している。『久野』は『久根』とか『久能』と同義と考えられる。丘陵性の小高い山が重なり合った土地である。
 また『久野又』の『又』は幾つかの谷の分かれ目などにつけられる名である。
 このような土地の姿を『創垂可継』(文化十四年)〈一八一七〉には、「川は、東は八溝山より流れ出し、北は桜田村より流れ来たり、二瀬郷中にて落合い、南に流る」と述べている。
 また『那須郡誌』に、「川の分岐点にある川俣(かわまた)と同じく、久野又も両郷村の門戸で、前郷と後郷とが分岐する二股(ふたまた)の地」と誌してある。
 久野又は早期に開けた土地の一つである。
 合流地に最もふさわしい地名に川中子川原がある。
 字名に、千石沢、古内谷、反田河原、柳田、清水沢、八重沢、作事沢、堀下河原、川中子河原、地蔵田、愛宕山、松山沢、上(うわ)台、西ノ入沢、八斗蒔沢、長沢、入山がある。
 慶応三年(一八六七)三月の『旧検地帳』の字は次の通りである。
 長峯一口坂、梨本平、町井峠、町井、松山前、片峯、愛宕山、千本塚、松山道添、上ノ宮、久保、丸山峠、三斗蒔、今宮、広町、蟹沢山、反田台、桜田筋、茂屋松、北久保、墓下、八重俵沢、棚崎入、長沢、赤坂、油窪、古小屋、六本松、井戸入、向山、千石入、渡辺中丸、落合河原、八重俵〓寺前、寺脇、川ノ上、出戸否、橋場、高黒、下河原、地蔵田、西ノ入、松山向、中村、古内下河原、六斗蒔、稲久保、上台、家ノ前、屋敷後、関根、八斗蒔、細田、山下、日照田、祭田、松山屋敷後、森ノ前、山ノ神、清水田、中嶋、早稲田、久保田、東川、落合、明神後、石田、桐ノ木、林下、榎田、堂ノ前、古内、畑ケ田、堀之上、沢田、田向畠、明神沢、〓ノ下、山下向、胡桃沢、出戸、河原田、背坂影、柳田、八重俵、神明屋敷、上ノ山、反田、森ノ上、松木田、屋敷脇、反町前、三角田、下関、道添、山陰境、沢田観音免。