(八) 大輪

1102 ~ 1103
 大輪(おおわ)の里は、那珂川の左岸段丘にある。東部は八溝山地であるが、丘陵端が河岸に迫る所や開折谷等もみられる。
 この地は水と緑が美しく、詩情豊かな田園地帯にあり、民俗と歴史の豊庫である。
 那珂川は、白河丘陵地を縫う黒川・余笹川等を集めて、この辺りで大きな輪を描きながら八溝山地の崖端を清音を奏でながら南流している。『大輪』の地名は、このことから名付けられたものであろう。
 『大輪』の地名考について、「高館山の裾曲(すわ)を占むる輪曲(くるわ)をなす地であるから」(那須郡誌)とか、「高館城の一画(かく)をなす大きな郭輪から生じた」とする説(黒羽高研究誌『藁』)もある。
 また『創垂可継』(三社礼式)によると、『大三輪説』が採られている。
 高館に『三輪の神』を祀っていたので、『三諸山』とか、『大三輪山』とも称していた。そして村名の『大輪』は『大三輪』を中略(三を除く)して、呼ぶようになったという。これは黒羽藩主、大関増業の唱えた説である。
 このように大輪の地名考説は、①大輪の地形から②館があることから、③宗教上のことから等、およそ三つの説が考えられる。なお、これとは別に『大畑村』の名もあったという。しかし確かな文書は見当らない。
 字名に、下河原、牛居渕、広畑、石堀、大蒔、久保、川端、行人塚、寺脇、三升蒔、仲坪、古内、水久保、長谷田、柏木、斧久保、三霞、高舘、佐久山館、仲山、南山、下山がある。
 宝暦七年(一七五七)十二月『検地帳』の字名は次のとおりである。
 二升蒔、細久保、久保、行人塚、滝前、坂下、前ノ内前、屋敷下、廟所脇、中屋、三霞、道添、道西、屋敷内、柿木下、清水、西原、川端、森前、屋敷前、古屋敷、人形原、上久保、高舘下、木楊場、七町、三斗蒔、新屋敷後、中久保、水久保、前田、東畑、稲乾場、仏坊後、屏風前、森ノ後、寺ノ後、堀向、堂東、石河原畠、家ノ後、家ノ脇、波下、深荷、滝ノ向、山岸、大巻、南道添、山下、橋ノ上、西倉畠、桜町、石堀原、柏木、馬坂下、田下、馬場下、五斗蒔、林作、川原田、鰻田、御猿塚、沖、谷ヵ久保、北ヶ沢、年下、細町、家ノ入、大木田、早稲田、槻木下、高橋前、家ノ南、井戸下、桜町、山ノ神堂、長谷田、札場前、下原、柳田、花掛、中嶋、辰ノ尾、十文字道下、古内柳田、沢口、長町、谷池、崖ノ上、古茶畠、円坐岩ノ上、鮎ヶ瀬、渕ノ端、林根、駒込沢、久保田尻、膳棚、作リ田、越蒔、ヨモキ田、宮ノ脇、広畠。