四、戸村大蔵

1142 ~ 1143
 戸村大蔵は、戸村銀次郎の次男として、明治三十年五月十日、那須郡黒羽町大字須佐木七六二に生まれた。小学校、高等小学校卒業後遠く宇都宮の県立農学校に学び、大正四年四月卒業した。帰郷後の家業の製材業を通して本地区特産の木材の声価をたかめ、後には村政、町政の発展に関与し、町村合併前後の混乱期を大過なく指導誘導して新町の基礎を固めた。



 昭和二十七年十月一日、旧須賀川村教育委員会発足に伴って、推されて初代の委員長に就任し、町村合併の三十年二月十日まで在職した。
 在職中最大の事業は、新制中学校を須佐木地内に建設することであった。山峡の平地の少ない地区に、広大な面積の中学校敷地を物色することは容易でなかったが、誠実と努力は見事にこの難問を解決して、当時、本県に範たる校舎を建設した。この総事業費七千万円は、奇しくも父銀次郎と、当時の村民の汗の結晶である村有基本林の伐採収入で賄なわれた。更に、村内の須賀川、須佐木、川上三小学校の増改築も実行された。
 昭和二十九年二月二十二日、本県の町村合併案が公表されるや、村内にも合併促進協議会が発足したが、学識経験者として委員の一人に推され、村の進路に誤りなく新町への軌道に乗せた。
 昭和三十年七月六日より三十五年四月十六日まで、合併後の新町の助役として、更に三十五年四月二十日より四十三年四月十九日まで、新町の町長に選ばれ、経済に教育に福祉に難問題山積の町政の挽回に尽力した。
 昭和四十四年四月二十九日、多年の功績が認められて、勲六等単光旭日章を授与され、更に五十二年四月一日、黒羽町名誉町民に推挙された。