黒羽歴世執政名譜
緒言
○明治廿五年壬辰六月子爵大関増勤真人其旧臣中歴世藩ノ重職執政タリシ者ノ旧績ヲ追懐シ其夫妻ニ院殿大居士号ヲ贈ラル、其人名及ヒ小伝ノ目ヲ抄集シ一冊ト為ス、夫ノ追贈文書ノ若キハ別冊ニ在リ。
○浄法寺家ハ昔寄騎ト称シ、其後歴世黒羽城代タリ、故ニ執政職ノ依嘱有テ勤メシ人ニ限ラズ、累世戸主夫妻ニ追贈セラル、金丸家モ亦寄騎ト称シ諸臣ノ上座ヲ占メ仕ヘシガ、初代金丸遠江守義藤[亀山村金秀寺開基金秀寺殿凛叟逸風大居士]ヲ初メ代々概シテ殿大ノ号ヲ用ユ、依テ之ヲ除ク。
○家名ノ順次ハ諸臣(注)系略ニ拠ル、同書凡例第二条ニ曰(いわく)、次第スル所ハ旧臣ヲ先トス、然レドモ当時不幸ニシテ、禄減ジ、或ハ、席格下ル者旧臣ノ例ニヨラズ、終リニ誌ス。第三条ニ曰(いわく)、時ノ役人席ニヨラズ、知行ノ高下ニヨツテ、前後ニシルシ、同知高ノ者ハ、当主ノ家督ノ順ヲ以テ誌ス。第四条曰(いわく)、同家未家等ハ小身ノ士トイヘドモ、高禄ノ同姓ノ次ニ誌ス。云々。下略。[此執政名譜中ニテハ、滝田勝文ノ家、大沼亀ノ家、大沼泰通ノ家等則是也]
○此書執政者姓氏通称実名実子養子ノ別、就職年月日、食邑、其他異数ノ事、及ヒ妻ノ氏名生家等ヲ略記ス。其未詳者ハ姑ク疑ヲ闕キ他日ヲ俟ツ、書中惣テ旧記ニ拠テ之ヲ誌ス。毫モ憶断スル有ル無シ。家禄ハ寛文年マデ食邑トシ、其後ヲ知高ト記ス。
○第何世ト有ルハ大関氏ニ仕ヘシヨリノ代数也。
○此書殿大追贈ノ事アルニ依リ、纂補スル者ニシテ、又黒羽一部ノ小歴史ト為スノミ、未詳脱漏ノ事ハ尚考訂追補ヲ要ス。
明治廿五年壬辰秋八月。
(注)旧蔵大関家文書黒羽町蔵。なお「諸臣系略」は『創垂可継』に収録されている。未刊。
藤原姓 浄法寺清家歴代
第一世 浄法寺越前 茂直
弘境公庶長子ニシテ、浄法寺丹波胤資ノ養嗣ト為ル。
慶長中寄騎タリ。
同五年会津征討ノ役霊照公ト共ニ証人トシテ其女ヲ江戸ニ出ス、依テ之ヲ賞セラレ五百石ヲ賜ヒ、之ヲ公地ト称ス。
自分食邑併テ千石程
此時人質証人トシテ江戸ニ出シハ、世子霊照公甫ノ九歳及ヒ家臣金丸杢之助資員妻伊王野氏浄法寺越前茂直女、松本惣左衛門妻、同嫡子、松本治郎右衛門幼名[当時幼名未詳]津田光明院源海妻鹿子畑氏[後宗心院ト号ス]源海女阿仙[後松本冶郎右衛門ニ嫁セシモノ]是也。世子共ニ七名トス。[或ハ松本冶郎右衛門妻ト記シ有ルハ後ニ源海ノ女冶郎右衛門ニ嫁セシ故ニ云也]
妻者不詳
第二世 浄法寺久太郎 茂勝
大輪出羽次男ニシテ大輪甚兵衛ノ弟也。茂直ノ養嗣ト為ル。
寄騎タリ。
食邑未詳。但古記録ニ浄法寺寛永十九年迄千石、万治元年ニハ五百石トアリ。以下同シ。
妻者茂直ノ女
第三世 浄法寺助右衛門 茂邦
茂勝ノ男也。
寄騎タリ。
食邑
懸車シテ養老ノ菜地五十石ヲ賜リ、下ノ庄深沢村ニ隠居ス。
妻者未詳。
第四世 浄法寺彌一郎 茂明
茂邦ノ男也。
食邑
妻者大関氏菊子 霊照公ノ女 即長松君ノ所生。
第五世 浄法寺図書 高政
茂明ノ男也。
正覚公駿府及大坂加番ノ時毎ニ命有リテ黒羽城ニ留守ス。
食邑五百石。
万治中検地ノ後、知行所ヲ交替セラレ、上ノ庄ニ於テ数村ヲ賜フ。家ノ紋章円中一文字ナリシニ、円中沢瀉又永楽通宝銭ヲ用ヒテ、母家ノ証ニセヨト命アリ、又法光公ヨリ偏諱高ノ字ヲ賜ヘリ。皆子孫ニ伝ヘ之ヲ用ユ。
妻者大関氏長子法光公ノ女。
第六世 浄法寺図書 高勝
本藩士鹿子畑左内高明ノ長子ニシテ、高政養テ嗣ト為ス。[高政ノ妹ノ子也]老ヲ告テ後隨如軒ト号ス。
本源公大坂加番ノ時毎ニ命有リ、黒羽城ニ留守ス。
元禄二年十二月十九日、恵日公幼稚ノ間黒羽城ヲ預ケラルヽノ旨、福昌君ノ命アリ、数年之ヲ守ル。
食邑五百石。
妻者本藩小山氏ノ女、後妻ハ高政ノ女。
第七世 浄法寺図書 高軌
高勝ノ男也。
知高五百石。
妻者常陸国笠間ノ城主井上侯ノ重臣井上将監ノ女。
第八世 浄法寺図書 高命
陸奥国二本松城主丹羽侯ノ重臣丹羽庄兵衛ノ七男ニシテ、高軌ノ養嗣ト為ル。
寛保二年壬戌九月護国公手書ヲ以テ家老職頼嘱ノ命有リ、勤ム。
延享元年甲子、同公大坂加番ノ時命有リ、黒羽城ヲ預リ勤ム。
知高五百石。
第九世 浄法寺図書 高了
高命ノ男也。
本覚公駿府及大坂加番ノ時命有リ、黒羽城ヲ預リ守ル。
安永九年庚子十二月四日、家老職頼嘱ノ命有リ勤ム。
知高五百石。
妻ハ大田原氏三保子同国大田原城主大田原侯ノ重臣大田原数馬姉。
第十世 浄法寺掃部 高忠
本覚公大坂加番ノ時命有リ、黒羽城ヲ預リ守ル。
知高五百石。
妻者秋田氏八代子。陸奥国三春城主秋田侯ノ重臣、秋田衛守ノ女。後妻者牧野氏カヨ子。陸奥国白川の城主松平越中守重守重臣牧野平四郎ノ女。後妻者丸田氏ヤツ子。本藩士丸田治兵衛秀師ノ男、庄五郎秀栄ノ女。
第十一世 浄法寺図書 高保
本藩士 瀧田典膳勝温次男ニシテ、高忠養テ嗣ト為ス。
掛冠ノ後萃軒ト号ス。
(注) (記載なし)
年 月 日、家老職頼嘱ノ命有リ勤ム。
知高五百石。
妻者高忠ノ女サエ子。
第十二世 浄法寺齋宮 高慶
高保ノ男也。掛冠ノ後、大蟻ト号ス。
(注)記載なし
年 月 日、家老職頼嘱ノ命有リ勤ム。
知高五百石
妻者興野氏春子。本藩士興野市左衛門隆方長女。
第十三世 浄法寺頼母 高譜
本藩士浄法寺源蔵高美ノ長男ニシテ高慶養テ嗣ト為ス。[高慶ノ妹ノ子也]
(注)記載なし
慶応 年 月 日、命有リ軍事総裁ト為ル。
明治元年戊辰正月七日家老職頼嘱ノ命有リ勤ム。
明治二年己巳九月十二日任黒羽藩大参事。
知高五百五十石。
妻者大沢氏豊子。同国宇都宮城主戸田侯ノ臣大沢八右衛門ノ女。
(注・以下二十八家の分記載あるも略す)