消滅した岩船台古墳群

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かつて、岩船台の湯津上小学校付近には七基以上の円墳が分布していた。現在はすべて消滅し存在していない。大正十一年の道路普請工事の際に、小学校々庭の地続きにあった小円墳が発掘された。内部主体は東西二・四六メートル(八尺二寸)、南北〇・七二メートル(二尺四寸)、高さ〇・六六メートル(二尺二寸)の箱式石棺であるが、丸山瓦全「下野国湯津上村発掘鹿角装鐔」(『考古学雑誌』一三―一一)に、扁平の岩石を組合せ、基底部に小砂利を敷き云々と記しているので、あるいは竪穴式(たてあなしき)石室であった可能性もある。
 工事の際に発見された遺物には、瑪瑙(めのう)質の勾玉(まがたま)二、短甲(たんこう)一、鉄鏃二〇余、鉄斧二、鹿角製鐔付剣(ろっかくせいつばつきけん)二などがある。現存している鉄斧は袋状のもので五世紀代のものであろう(第32図・第33図)。鐔には直孤文(ちょっこもん)を彫刻し、朱が彩色してあった。これらは湯津上小学校に保管されていたが、校舎の火災によって消滅してしまった。遺物によってこの古墳の時期を想定すると、五世紀末から六世紀初頭にかけてのものと考えられる。

第32図 岩船台古墳出土の鉄斧


第33図 岩船台古墳出土の鉄製品