上侍塚北古墳

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湯津上地内にあるこの古墳は、上侍塚古墳の北方約六五メートルのところに位置している。那珂川右岸の段丘東縁に沿って築造されている前方後方墳である(第41図)。『那須八幡塚』のなかで三木文雄らは、この古墳は全長四八・五メートル、後方部幅二五メートル、同高さ五メートル、前方部幅一七メートル、同高さ三メートルで、出土遺物その他の性格についてはわからないと記している(第42図)。

第41図 上侍塚北古墳の全景


第42図 上侍塚北古墳測量図
『那須八幡塚』より

 那珂川中流域に分布する五基の前方後方墳のなかでは、規模がもっとも小さいものである。本村内の三基、小川町内の二基はいずれも古墳としては古い時期のものである。このなかでも、小川町にある駒形大塚(こまがたおおつか)古墳や那須八幡塚古墳などは発掘調査が行われ、それによって、四世紀後半に築造されたものとして位置づげられている。これに対して本村内の前方後方墳は、下侍塚古墳の周湟調査以外は発掘がなされていないので、明らかな年代は不明であるが、上侍塚・下侍塚両古墳は、およそ五世紀前半に築造されたものとする見方が強い。したがって、この上侍塚北古墳も他の四基が四世紀後半から五世紀前半に位置づけされているところから、五世紀前半から中葉にかけてのものと考えてよさそうである。墳丘はひどく破壊された痕跡(こんせき)がみられるが、数少ない前方後方墳であるので、これ以上の破壊は防止したいものである。