那須郡の諸郷

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『延喜式』によれば、東山道の一国である下野国は、九郡を管する上国で、足利・梁田・安蘇・都賀・寒川・河内・芳賀・塩屋・那須の諸郡から成っていた。そして、上京に三十四日、下国に十七日を要したことが記されている。また『和名類聚鈔』(和名抄と略す)によると、那須郡には次の郷名が列挙されている。
那須 大笥(おおけ) 熊田 方田(かただ) 山田 大野 茂武(たけぶ) 三和(みわ) 全倉(たのくら) 大井 石上 黒川

 つまり、十二郷が掲載されている。しかし、高山寺本によると、那須郷が欠如し、十一郷になっている。十二郷について、蓮見長は『那須郡誌』に次のように考証している。
那須郷 今日の川西町(現黒羽町)及隣接金田村(現大田原市)付近の地
大笥郷 七合村大字大桶(現烏山町)を中心とする付近の地
熊田郷 下江川村大字熊田(現南那須町)を中心とする付近の地
方田郷 黒羽町大字片田を中心とする付近の地
山田郷 大山田村(現馬頭町)を中心とする地
大野郷 伊王野(現那須町)及び両郷村(現黒羽町)を含む地
茂武郷 馬頭町大字健武を中心とする馬頭町及武茂村(現馬頭町)付近
三和郷 那珂村大字三輪(現小川町)を中心とする付近の地
全倉郷 全倉は谷倉(たにくら)の誤記なるべく、谷倉の転じて田野倉となったのだから、荒川村大字田野倉(現南那須町)を中心とする付近の地

大井郷 下江川の南端より向田村地方(現烏山町・南那須町)
石上郷 湯津上村付近の地
黒川郷 芦野町及び伊王野村大字伊王野(現那須町)付近の地
     (注) ( )内は監修者補筆

 この蓮見長の考証は、吉田東伍の『大日本地名辞書』(坂東編)を基にしている。本書によると、那須郷は「今川西町、金田村などにあたる歟、即石上郷の北隣なり」とあり、大笥郷は「今七合村是なり、三和郷の南にして、大字大桶に存す、東は那珂川に至り、西は熊田郷に至る」とある。以下、同じように記している。とくに本村に関係ある石上郷について吉田東伍は、「今湯津上村是なり、即延喜式に磐上(いわかみ)に作り、古駅にして新田(芳賀郡の旧管なるが、今塩谷郡へ入る)より、石上、黒川(芦野)と相次ぐを想へば、其地は湯津上村にあたること判知に余あり。且、石上も古訓イソカミにて、ユヅカミも共に一語の互転に出でしにやとも疑はる。湯津上は大田原の東南三里、新田(松山)より此石上に到らんには、喜連川、江川等(古の塩谷郡内)を経て、福原にて箒川を渡りしならん。又延喜式、塩屋郡の伝馬五匹を載するを見れど、彼郡に駅次なければ、隣接の石上に匹数を供給せしに似たり。又一書に、石上駅を、今の大田原の西二里なる、石上村に擬せる事の非なるは、已に之を論じたるが、或は大田原の北二里なる東那須野の沓掛を、駅跡に擬する者あり。沓掛は多く古駅跡に其名を聞けど、本郡に在りては、不通の論のみ」と記述している。
 石上郷について『大日本地名辞書』並びに『那須郡誌』ともに、湯津上村とのみ記しているが、これは本村湯津上地内であり、その具体的な位置は、古代の集落遺跡の分布状況からみて、笠石神社のすぐ西方の一帯を想定して、ほぼ間違いないものと思う。