那須郡衙跡

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さきに、下野国には九郡があったことを記したが、各郡の行政中心地は郡衙(ぐんが)であった。那須郡の郡衙は小川町梅曽地内にあった(第78図)。現在、国指定史跡であるこの郡衙跡は、那珂川と箒川との合流地点に近く、箒川の右岸にせまった喜連川丘陵の裾に位置している。古くから古瓦の散乱や礎石の点在などから、奈良時代の寺院跡といわれ、昭和十五年には銅製の古印が発見され、梅曽廃寺跡として注目を集めていた。

第78図 那須郡衙跡(小川町)

 しかし、昭和四十二年以降、数次にわたる発掘調査によって、寺院跡ではなく、奈良時代から平安時代にかけての郡衙跡であることがわかった。内部の建物跡は全体的にみて東面している。これは東前面に箒川が流れ、遺跡全体が西側の丘陵の東下りの地形にのったためであろう。あるいは、河川に対してもっと積極的な意味あいがあったのかも知れない。
 建物跡は東面で、南北に長い列をなす部分のなかに、工字形に南面の建物が配されている。これを除くと遺跡の北限と南限の建物は、それぞれ内側に向けられて建てられている。建物跡は薄い版築や礫を打ちこんで地業を行った基壇の遺構と、掘り形をつくり、中に柱を建てた掘立柱遺構の二つに分けられる。これらの建物跡は、方二町(二二〇メートル)の地域内にあるが、瓦葺(ぶ)きの巨大な建物はその礎石の配置からみて、間口二七メートル、奥行九メートルのもので、郡衙の正庁跡(せいちょうあと)と推定されている(大和久・塙『栃木県の考古学』)。
 那須郡衙跡は本村内に存在するものではないが、郡内の政務を行うところであるので、ここに記しておいた。