広瀬の戦

151 ~ 152
永禄十年(一五六七)那須資胤、佐竹領梅平の大金備後守を七百余騎で攻めようとした。大金備後守は広瀬繩釣に出城を構え、百五十騎程で守らせた。資胤軍は佐良土河原に陣を張った。
 一時は梅平まで攻め入ったが、梅平側に武茂豊綱らの援軍があり、勝敗がつかなかった。
 この戦に資晴も十二歳で、父資胤について参加している。佐良土に館を持つ佐良土宮内もこの戦に名を連ね奮戦している。